難民って、「人種差別ダメです」「基本的人権は誰にでも平等に与えられる」「死にそうなら生活保護受けられます」「博愛主義で行きましょう」の国は、大規模に受け容れちゃだめなのでは……?
国の体制が、まず、『ドイツ人はみんな最低限の教育を受けてて分別があり、法にそむくといけないということを知っている』とか『日本と言う国家や、日本らしさを共有し、他人にもそれを要求することができる』とかいう前提で創られてるから(例外あり)、それ以外の人を入れたらそぐわなくなるだろ。
自国の国民以外には、やはり、自国の国民に求めるようなことを期待してはいけない。たとえば、愛とか、将来スウェーデンの為になる人間になるとか、ご近所づきあいとか。と同時に、難民に認める基本的人権にはかなりの制限が必要なのではないか。
その数が、まあ数百人ならまだしも、自国の国民が抱えられる上限と言うものもある。人口千万人に満たないスウェーデンが、二十万人の難民を1年間で受け入れるとか、全く正気の沙汰とは思えない。炭鉱と鉄鉱山に押し込めとくならまだしも。
スウェーデン人の女性(22)、世話をしていた難民の少年に殺される
http://exawarosu.net/archives/9157058.html
以下は2018.2.18のpostの転載です。
こんなに明らかに、ナツィと同じことしてるんだが、なぜ国際社会は止めないのか?
「核を持ってる国」だからか?「国連の常任理事国」だからか?
日本の満州占領時みたいに、中国を国連から叩き出せよ。
ウイグル「絶望」収容所──中国共産党のウイグル人大量収監が始まった
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/02/post-9547.php
以下は2017.2.3のpostの転載です。
国の体制が、まず、『ドイツ人はみんな最低限の教育を受けてて分別があり、法にそむくといけないということを知っている』とか『日本と言う国家や、日本らしさを共有し、他人にもそれを要求することができる』とかいう前提で創られてるから(例外あり)、それ以外の人を入れたらそぐわなくなるだろ。
自国の国民以外には、やはり、自国の国民に求めるようなことを期待してはいけない。たとえば、愛とか、将来スウェーデンの為になる人間になるとか、ご近所づきあいとか。と同時に、難民に認める基本的人権にはかなりの制限が必要なのではないか。
その数が、まあ数百人ならまだしも、自国の国民が抱えられる上限と言うものもある。人口千万人に満たないスウェーデンが、二十万人の難民を1年間で受け入れるとか、全く正気の沙汰とは思えない。炭鉱と鉄鉱山に押し込めとくならまだしも。
スウェーデン人の女性(22)、世話をしていた難民の少年に殺される
http://exawarosu.net/archives/9157058.html
以下は2018.2.18のpostの転載です。
こんなに明らかに、ナツィと同じことしてるんだが、なぜ国際社会は止めないのか?
「核を持ってる国」だからか?「国連の常任理事国」だからか?
日本の満州占領時みたいに、中国を国連から叩き出せよ。
ウイグル「絶望」収容所──中国共産党のウイグル人大量収監が始まった
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/02/post-9547.php
以下は2017.2.3のpostの転載です。
(思考実験)※批判、異論、反論歓迎
難民の発生する国をA国
難民を受け入れる国をB国とする
A国の国民は、いろいろな面で生活の方法を失う
が、仕事がなくなったり食料がなくなったりでは、大規模にA国を去ることは多くないはずだ。前者なら出稼ぎに出るだけで本国に家族は残るし、後者でもなんとかする
やはり、難民が無視できない規模になるのは、火薬や武器の乱用によって生命の危機が間近になったときだろう。
つまり、難民は、「生きる場所」が要るのであって、労働力の面では問題ないと思われる。
A国から出てきた難民の皆さんは、B国に入っても、当然ながらAの文化を忘れない。Aにいたときのようにふるまうし、それは止められない。
しかし、B国にはB国のルールがあるし、Bの文化とAは相容れない。また、Bの経済的な財産は難民受け入れまではB国民にのみ享受されてたのであって、他の人間が増えるとその取り分が減ることになる。しかも、A国の人間がB国に利益をもたらすかというと、それは無い。A国の難民はA国語を話すのでB国の主要な産業には就けないし、B国の教育もたいして受けられない。結果として、秩序や、雇用、社会サービス、インフラ等の財産が、一人あたりで見たときにB国では減少する。これを危惧してB国民は難民を受け入れるのに反対するかもしれない。
やはり、シュテットルしか無いかもしれない。
街の中や、郊外に難民村を作って、その中の自治を認めさせる。ただし、難民村内外の行き来は制限する。ある程度の教育を受けたら、難民村の外の仕事にも就ける。もちろん免許制。
日本に適用すると、廃村がその候補に挙がるか。
集落(だった場所)をそっくりそのまま難民村にする。交通インフラは無いけど要らないし、日本の土地は肥えてて農業はできるからノウハウだけ教えてやれば良い。
コメント from Rita Cinquetti
概ねその筋書きで現実も流れてるように思うが、その先に「住み着いた土地を自分たちのものだと言い出す」(はじめは他に行く先がないから立ち退かない→やがて他の隔離居住地を提案しても行きたがらない→あげくにそこの専有を権利として主張しだす)があると思う。
そうなると、雨宿りぐらいなら軒先使ってもいいよだったはずがそこに小屋立てられるようなもんで、受け入れがたい。
結果として一部とはいえ国土の明け渡しになるなら、文化を捨てて受け入れ側に合わせる(それならば一応は自国のままと判断)のが交換条件、と考える層が多数ではなかろうか
そもそも経済や(受け入れ側の)文化面に於いて難民の受け入れはデメリットが大きい。
その上で、人道的だとかそもそもの原因に(多少の)責任があるとか、あるいはそこで敢えてババを引き受けることで国際的に他のメリットがあるとか
なのでそのあたりのメリットを考慮せずに受け入れ部分だけで考えるとどうしてもマイナスな話になるような気がする
以下は2017.2.3のpostの転載です。
新十津川町(村)はシュテットルか?
いや、違う。言語も民族も文化も教育もほぼ同じだ。
「受け入れられざる難民」と何が異なるのか?
それは、(僕が『最強国の条件』信者だからだろうけど)「絆」の有無だと考える。
「同じ日本人だ、助け合おうじゃないか」と思えるのが「絆」だ。
「国」というのは、「絆」を維持できるほとんど最大の限度のように思う。
同じ国の国民であれば、「絆」は感じられるし、「絆」が感じられなくなると国は分裂・崩壊する。
EUは範囲を広げすぎ、「絆」はいきわたらなくなった。そう考えればイギリスの離脱も納得できる。
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