2019年4月1日月曜日

シンガポール国歌を使った交流について

以下は2014.12.6のpostの転載です。


シンガポール人29人とこちら100人くらいで交流会行ってきたよーん。

やっぱ、「歌」ってすげえ。

と思った。僕のたどたどしい英語では、十分彼らと意思疎通や茶飲み話はできないのだけど、「俺、シンガポールの国歌練習した」と英語で言ってこれ歌ったら、十分ウケた。
別れを惜しまれる程度には仲良くなったぜ!あとPCゲームが趣味の11歳の男の子の名刺っぽいものもらったから、後でメール送るんだー♪

https://www.youtube.com/watch?v=Fdb_O91d92M



以下は2015.12.5のpostの転載です。

あと「歌」。「予想通りのことが起こると快」の代表格が歌。

歌の文句は、同じ作品であれば一定、あるいは少し替え歌していても方向性が安定している。また、歌詞が全然異なっていても、メロディが同じなら同じ作品と取られることが多い……つまり「要素がたくさんあって、それぞれに存在感があり、かつ同一性を主張できる」という、冗長性が何重にも機能する強靭なコンテンツ。
それでいて(例外を除いて)誰にでも紡ぐことができ、同じメッセージを同時に共有できる。「歌」の特徴は、挙げれば挙げるほど「歌の力ってスゲー!」と思えるものだが、その中でも一番大きなのが前述の効果であろうと考える。

それがたとえ「花は爛漫、咲き乱れ、のどか和やか、常春の、マリネラ一の、美少年」みたいな意味のない羅列だったとしても、同じ歌を知っている者同士が同じフレーズを口ずさんだだけで、ほら、友だちだ。
シンガポールのボーイスカウトと言葉を交わしたことがあるが、たどたどしく英語をいくら話したからと言って、心は通じなかったと記憶する。その中で歌って見せた「majulah singapura」(シンガポール国歌マレー語版)の効果は圧倒的だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿