一行しか読めない人向け:「映画『大怪獣のあとしまつ』は『怪獣映画』ではなく『少女漫画』である。」
「大怪獣のあとしまつ」の感想を書く。
※印以降はネタバレありで書くので、ネタバレを見たくない人は※以下を決して読まないように。
一言でいうと「子供だまし」の映画であった。「子供だまし」というのは子供しか楽しめないという意味だが、これは大人が没入しようとしても不可能であるという意味でもある。
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まず、怪獣映画や災害映画は、作中の人物が皆怪獣や災害に注目していることが面白いのだと思うのだが、「大怪獣のあとしまつ」については、大怪獣に真面目に向き合う者が誰一人としていない。焼きそば食べようと思って行ったのに、焼きそば味のピラフ出てきたような感じだ。
映画が始まって、怪獣の話が始まるぞ~ワクワクと思っていた僕は、主人公とかそこらへんの恋愛模様が急に始まってマジで何が何だかわからなかった。イケメンや美女が出てきたが、そのへんの解説は誰かにおかませする。
・子供だまし1「デウス・エクス・マキナ」
作品冒頭と最後に出てくる「デウス・エクス・マキナ」は、中二病罹患者がよく使う語感がカッコイイ言葉であるが、これが「作品を批判するために作られた言葉」ではあることは有名である。というか、モノを作る者でその真の意味を知らない者はいない。
要するに、「夢オチ」に近く、「なんかよくわからないことが起きて解決しました」という結末のことを言う。
最終盤に、光の戦士が覚醒して怪獣を宇宙に放り出して映画は終わる。「じゃあ最初からソレやれよ」という感じで、それまでの展開はほとんど意味を失くした。
制作者が何を意図して「デウス・エクス・マキナ」を良い意味で使おうとしたかは全く不明だが、やりたかったのは怪獣モノ・災害モノではなかったということだけは確かだ。
・子供だまし2「下ネタ」
週刊少年誌程度のレベルの低い下ネタが息もつかせない勢いで連発され、作品の雰囲気を再生不可能なレベルにまで毀損した。
大の大人がウンコとかゲロとか連呼している姿は、子供だから楽しめるのであって、大人がそれを見たところで面白いという感想は持たない。キスシーンはたくさんあったが、性交シーンは無く、所詮は男子小学生レベルである。
また、男性器が黒塗りされており、あんなにうるさく入れている下ネタについてすら本気になることができていない。
・子供だまし3「時系列の切断」
人類側が抗戦した形跡が全く見えない。正直な所、何日間日本列島を徘徊したのかとか、どんな攻撃が加えられたのかは、どうでもいい。内閣が首班となって怪獣に徹底抗戦したのならば、内閣に、特務隊が首班となってであれば、特務隊に、「怪獣が生きていた時、こうしていた」という経験の蓄積や危機感の連続があるはずだ。
しかし、今作にはそれが一切無い。
内閣も緊張感が無く、会議室には談笑が絶えない。責任の押し付け合いの様子は、他国が大怪獣について述べているのと全く同じ構図だ。自身の組織で対応した経緯が微塵も感じられない。特に、召集令状が発されていることから、徴兵制になっている、つまり志願制では兵が集まらないほど国全体が悲惨な状況になっていたことが示唆されるのに、この状況というのは、絶対にありえないか、徴兵制の施行から相当の年月が経っているはずだ。しかし作品の舞台が「2021年」と明示されており、矛盾である。
あと、作品内で2回、攻撃機か輸送機かわからないが、「2号機」とやらが飛んでいるシーンがあるが、2回とも俳優が空を見上げるだけで、どのような兵器なのかが示されない。人類がどのように兵器を開発等して大怪獣に対抗し戦ったのかがわからない。少しでもそれが見られるシーンがあれば、と思ったのだが。
・子供だまし4「作戦の無秩序さ」
いくつかの作戦が登場するが、とにかく雑で泥縄。蓮舫のような政治家がメンツのためだけに被災地に一番乗りしたり、他部署と連携せずに出し抜いて成果を求めようとしたり(公務員はそれをしないために給与がそこそこなんですよ)、特務隊が何の防護服も無しにうろついたり、未確認の細菌による影響を「キノコが生える」程度の演出で軽視したり、大怪獣を押し流すためだけにダムを破壊したり、一旦ガスが抜けた経緯があるのにその穴を利用しようとせずに別の穴開けようと大規模作戦を展開したり、もう何もかもが雑で見ていられなかった。
濱田岳が山田涼介を覚醒させるためにミサイルをぶち込む作戦を進めたとしたら、到底割に合わない。最初から別の手段でそれをやれ。最後に観客を驚かせるためだけに、最初から最後まで色々なことが伏せられたままであった。観客に対して決定的に不誠実だ。
俳優が見れればいいっていう層は、本当にこういう脚本でも見ていられるのか……?
そういえば、この作品の主要な売り物であるかっこいい・美人な俳優数人についてのみ、下ネタが使用されていなかった。つまりこの作品にとって下ネタとは、「こいつはただのモブだからキラキラした目で見なくていいよ」という記号なのであろう。
以前、少女漫画的な「リアル」とは、イケメン以外の解像度が著しく低く、モブについては見えていても全部スルーするという話を聞いたことがある。それを考え、「『大怪獣のあとしまつ』は『少女漫画』である」という仮説を立てた。この考え方を取り入れれば、比較的、この映画の価値不明な部分を説明できるかもしれない。
イケメンを見るために劇場に行った女はきっと楽しめたことだろう。
そしてイケメンの相手は美人でなければ顰蹙を買う、そのために駆り出された土屋太鳳の存在意義とは。
「つまらない邦画」を体現したような映画であった。
余談1:
僕は作品を評価する際に、できるだけ他作品を引き合いに出さないようにしている。
僕は「シン・ゴジラ」が好きだから、それに似た作品を欲しがっていたことは確かだ。もしもこの作品が「シン・ゴジラ」に似た作品であったならば、それを踏襲した感想になったであろう。
しかし、「大怪獣のあとしまつ」は、「怪獣映画」ではなく「少女漫画」であったから、今なら、その見方が不適切であったことわがかる。
余談2:
所々ネタが多い映画であった。
多くのネタは読み飛ばしていたが、珍しくSCPネタと思われる演出が飛び出してきたので(『許可必領域』のドア周辺)、ちょっと目を引かれてしまった。
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