シャルイースから見るアキロゼエルフ語備忘録6
①歌詞解釈
②「ハァフィット ラスィーミヤ問題」
③「プロッポ ネオナ問題」
①歌詞解釈
「安息の地」というのを、エルフの森、または集落とし、歌詞の中でずっと「歩き続け」ている「旅人」を「私」とする。「妃」と「王」を、(1)エルフの集落にいるエルフ族の指導者とするか、(2)旅人の右腕と左腕等の隠喩とするかによって、歌詞の解釈が大きく変わってくる。
(1)「王」や「妃」が人物を指している場合。もっとも単純な解釈としては、「魔の手」によってエルフの森が焼かれるなどして、妃や王は奮戦の結果、名誉の戦死。家族や友を失ったエルフの女戦士(たち)が、「魔の手」から「安息の地」を取り戻すために進む。
エルフの森は「異界の渦」に飲まれてしまった(占領されてしまった)が、「安息の地」を取り戻せば、「故郷の鐘」を再建し「揺らす」ことができる。ポーランドの国歌「ドンブロフスキのマズルカ」が同じような内容だ。
(2)「王の剣が魔を払う」ではなく「王」自体が剣となって「魔の手を切り裂く」と歌っており、「王」が「旅人」の道具扱いされている可能性がある。エルフ語の言い回しにおいて、「妃」や「王」が「足」や「腕」の隠喩かもしれない。
このように解釈すると、「旅人」は「魔の手」から「安息の地」を護るために旅をしているのだが、「異界の渦に飲まれて」しまったら、どうやって「また立ち上がる」のかわからない。エルフという設定からも、どこかに攻め込もうという意志は感じられないので、こちらは微妙であろう。
以上から、shallysのストーリーを想像する。
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エルフの村が敵に襲われた。家族を殺され、王も妃も散った。自分はなんとか生き延びたが、心に深い傷を負った。敵は追いかけてくるかもしれない。敵の手にかかるくらいなら、同じく生き延びた仲間とともに命を絶とうとも考えた。
しかし、生き残りのまとめ役の女戦士が声を上げた。「灯火を掲げよ」それは戦いの合図だ。このまま命を絶っては、敵の思うがままだ。森はエルフの庭のようなものだ。いざ、故郷を取り返そう。
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こんな感じでどうか。
②「hafyt lasymya問題」
"hafyt lasymya fymola shelo neykonya"の5語に対して、「ふと立ち止まって見上げた空に愛する家族の顔が映った」が対応しており、意味が多すぎる。なお、日本語の訳詞では、助詞も含めると14語もある。
しかも、そのうち"fymola shelo"は「愛する~の顔(が映った)」がほぼ確定しており、おそらく"neykonya"も、「家族」であろうことは続く文章から想像できる。つまり、"hafyt lasymya"の2語で「ふと立ち止まって見上げた空」を表現できるかという問題になる。
(案1)"hafyt"動詞説:まず、和訳文において「ふと立ち止まって見上げた」の主体は話者で、空に「愛する家族の顔」を見出したのも話者。とすると、この文は話者の一人称で構成されるのが自然だ。エルフ語では一人称は省略されるので、文頭の"hafyt"が動詞だとするとどうなるか。
意味が自由なのが"lasymya"だけで、この1語だけで「ふと立ち止まって見上げた空」を表現するのは非常に難しい。また、この部分の訳詞には「立ち止まる」「見上げる」「映る」と動詞が3つもあり、これらがそのままエルフ語にも書いてあると考えるのはやはり無理がある。
(案2)"fymola"動詞説:続く文章で"fymola shelo lala"が「愛する友の顔が映った」なのだから、「映る」には"fymola"を対応させるのが妥当だろう。構文はやや複雑で、「ふと立ち止まって見上げた空」が主語で、"fymola"が動詞。話者の家族の顔を映し、話者はそれを見ていることになる。
「愛する」は省略可能と考えると(家族や友は愛するのが当然である)、"shelo"が「顔」、"neykonya"は「家族の」となる。後置修飾はエルフ語の特徴の一つかもしれない。和訳文で"hafyt lasymya"には「立ち止まって見上げた」と話者の行動を示すような内容が入っているが、"fymola"の主語と合致しない。
そこで、慣用表現が使われていると仮定する。例えば"hafyt"を「空(名詞)」、"lasymya"を「動きを止めている(形容詞)」としたらどうか。森に棲むエルフ族にとって、「空」は森の木々の合間から見上げるものであって、自分が歩いていると空の形は常に変わり続ける。
それが「動きを止めている」のだから、自分が立ち止まっていることを表現できる。こうすれば、"hafyt lasymya"の2語だけで、「(ふと)立ち止まって見上げた空」を表現できる。もしかしたら、"hafyt"は、「空」よりも形の変わりやすい「木漏れ日」かもしれない。可能性として保持しておこう。
③「plopo neona問題」
"hafyt lasymya"問題が解決したと思ったら、直後の文章がまた難しい。"dy my woy"は「また歩き出す私」でほぼ確定している。これを"plopo neona"の2語で、「『愛する友の顔を映す』ことができる主語」に転換しないといけない。
そもそも「私の隣」は何を指しているのだろうか。先述の歌詞解釈は、これのヒントを探すために行った。「友」が戦友のことだとすると、映るも何も、友は実際に隣にいることになる。"plopo"を「居る」、"neona"を「~の隣」とすれば、「また歩き出す私が居る隣に友の顔が映る」となり意味が通る。
「plopo neona問題」に1週間くらいかけて、ついでに歌詞解釈もできたのでエルフ語の理解が深まった。まあ、まだshallys3大問題のうち最大の「menelasmu okulull問題」(訳詞:面を上げお前の信頼を数えよ)が残っているんですけどね……。
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