2022年5月30日月曜日

pixivの不祥事に反応して行われる「活動」について

  僕は、例のpixivの件について、何かアクションを起こすことはまず無い。

 一言で表現すると「面倒くさいから」だ。


【pixiv】トランス女性にセクハラした執行役員男性上司は誰で名前は?内容がヤバい!

https://ravex.jp/archives/10519


 そもそも、僕が過去に見てきたネット上の、この種の「活動」は、意図した何らの社会的影響を生まずに終わってきた。今回もその類だ。


 まず、何を理由に、彼らはpixivを去るのか。彼らの正義によると、「pixivの偉い人が社会的に間違ったことをしたから」であろう。

 犯罪は良くないことだ。ただし、今般の「活動」は、「犯罪が行われたから」彼らがpixivを去るというわけではない。「犯罪が明るみに出たから」pixivを去ると言っているのだ。「活動」はいつも、このように、事後的に行われる。それは仕方のないことなのかもしれない。しかし、それによって得をする者が誰もいないということは注目すべき箇所だろう。

 このブログは「どうなれば『ウレシイ』のか」だ。どうなればウレシイのか考えよう。

 彼らにとっての「ウレシイ」ことは、一連の「活動」によって、pixivが潰れるなりオワコン化するなりして、「セクハラした人の影響でこうなったんだぞ」というお灸を据えるということなのだろう。

で?

である。セクハラが悪いことだという意識は、十分に世間は知っている。その意識をアップデートしようというのはあまりに時代遅れだ。また、pixivに新しい経営陣ができたとして、その新経営陣がセクハラをしない確証は無い。pixivを去った者は、それをどのように判定するのか。「明るみに出ていない犯罪を、どのようにして『無い』と判定するのか」。

 あるいは、「二度と許さない」というのか。それが正義の鉄槌だとでも言うのだろうか。去るのは勝手だし、筆を折るのは個人の判断だ。好きにするといい。しかし、それによって誰かが何かで得したか?劇的な改善をしたのか?と問われても、何も出てこない。

「キャンセル・カルチャー」だ。


 pixivが無くなったとして、僕には個人サイトをやっていた時代があるし、このブログもあるし、他にいくつものSNSに足をかけているから移動は比較的容易だ。誰かに見てもらいたくて小説を書いているわけではないので、訪問者ゼロでも構わない。必要が生じたらいつでも移動はできる。

 ただ、現状、「活動」を行う者がpixivを去って、何が起こるかというと、「活動」を行う者がpixivからいなくなるだけだろうということが容易に想像される。例えばpixivで創作をしている絵描きは、そのままのプラットフォームでマネタイズしたいだろうし、過去の絵はそれ自体が絵描きの名刺たりうる。ファンは「pixivに行けば好みの絵や小説を見つけられる」と思ってpixivに来ているのだから、pixivが無くなったら移住先が無い限りTwitterにでも帰るだけだ。思いつく移住先はtinamiとかredditとかだろうか?そこまで足を伸ばす者が一割もいると思わないけどな。そうして言うだろう、「〇〇の二次創作、最近見なくなったな」と。

 pixivが無くなる未来はまず無い。もはや個人サイトを巡回してまで作品を読みに来る時代ではない。それをしようという者はごくごく少数である。


 pixivを去った者は、自作品への反応が少ないことについて「自己の正義に従ったまでだ、悔いはない」とするか、なんか理由をつけてpixivに戻るか、いずれかだろう。繰り返しになるが、それについて否やを言うつもりは無い。勝手にせよ、だ。ただ、どうしても言うべきことがある。「お前の正義を他人に押し付けるな」だ。

世界を「敵」と「味方」に切り分けて、pixiv側に少しでも関係を持っている者は全て「悪」か。自分が重要視した事件だけを見て、それが世界だ、一事が万事だというのは、あまりに乱暴だ。

 その乱暴狼藉が、自分にのみ影響しているのなら、許容できる。「活動」によって作品が見られなくなり残念がっている者に「これはpixivの偉い人が不祥事を起こしたから見せないようにしているんだよ」とトンチンカンな返答をするのも、究極的には、作者の勝手だからまだいい。

他人に強要するな。

その一点である。


 「作家は損をすることを承知でpixivを去るのだから、その心意気を尊べ」というような、ミュンヒハウゼン症候群じみた言説も散見される。

「道徳的優位」というか判官びいきと言うか……もう自傷癖のメンヘラとでも一生よろしくやっていろ、という感じである。

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