2019年1月31日木曜日

アニメ感想「DOG DAYS」第1期第11話

以下は2017.12.26のpostの転載です。

昔、どうしても合わなくて見るのを止めたDOG DAYSを再度見ている
11話まで見て、すげーエクレールが好きになってたまらん
切なそうなリコッタの仕草から、今後の展開はほぼわかる。そこから導かれるエクレールへの仕打ちがかわいそうすぎてこっちまでドキドキする。

DOG DAYSは、「人の死なない戦争」をしていることから、放映時「甘っちょろい」とか「あほくさい」とか散々言われていた。というか僕が言ってた気がする。
また、変な用語も随所に多く、単なる「ケモ耳アニメ」とする見方もある。
しかし、ちゃんと見たことで、逆に内容の作り込みに驚かされた。

まず文字。「フロニャ文字」とよばれるこの文字は、日本語かなの転写やローマ字転写とは異なり、現実にある文字と同等に創作された文字として評価したい。文字のタイプとしては「アブギダ」。アムハラ語やオジブウェー語などがこれを使っている。

次に戦争を極端に「商業」と言い切ることにある種のメッセージを感じた。フロニャ力(ちから)がもちろんベースにはあるが、大勢が参加できるアクションイベントと思えば理解が早くなる。11話でロランが言うように「来たるべき危機に備えるための戦争興行」というのも納得だ。実際、それが今回わりと役に立ったわけだしな。

ああああ次回以降、シンクが元の世界に帰っちゃうことを知らされたときのエクレール想像しただけでもう切ないやら悲しいやら......

アニメ感想「失われた未来を求めて」

以下は2014.12.24のpostの転載です。

「失われた未来を求めて」最終回感想 下にネタばれあり

まあ、納得できる結末で良かった。

ゆいはホントよくがんばりました。いっぱい悩んで辛かったろう。また、奏たちに会えるといいですね。

いわゆるループものである。「魔法少女まどか☆マギカ」あたりから、ループもののギャルゲーが多くアニメ化されているのは、「ループものの表現の仕方が確立された」からだろうか。




……また、幼なじみが落ち物ヒロインに負けた……
しかも、あろうことか同居ヒロインなのに……

「結局パラレルEDかよ!!」という言説があるが、僕はそうは思わない。佳織が事故に遭うルートでは、少なくともしばらく佳織が起きないのは確定なんだから、過去にさかのぼってルートが合一するわけではないことは確実。つまり、目覚めた後数年くらいかけて、事故に遭う場合と遭わない場合の世界戦が収束して行くのだと思う。
事故に遭わない場合、10年後くらいに佳織が「再び立候補」し、三十路の主人公と結婚。
事故に遭う場合、佳織は10年寝てるけど起きた瞬間三十路の主人公と結婚。
これで収束するでしょ?何でこの程度考えられないんだ?

まるで「君が望む永遠」のような展開であった。僕は鳴海を否定しない。だって、1年も寝てれば彼女だろうと何だろうと、別の時間を生きてる人だよ。本作の奏も、何度「愛理とくっつかねーのかよ!!」と思ったかしれない。
しかし、それも当然かもしれない。僕の考えの中では、ループもののギャルゲーに与えられた使命の中に「主人公の運命の選択」があるからだ。
ギャルゲーではよくあることだが、主人公は複数の女の子と親密になる。しかし、女の子の方は主人公以外に相手がいない。このアンバランスさを、「ハーレム」と称されるのは、仕方ないことだと思う。
ループものでは、場合によってこれが回避されうる。1回目のループではヒロインAと、2回目のループではヒロインBと、それぞれ別に親密になるのならば、各時間軸単位で主人公は清潔である。最終的にメインヒロインであるヒロインXに辿り着きたければ、その前までのループを棄てる、認めないという判断をプレーヤーがすることになる。それらのループを棄却して別の運命を求めることで、メインヒロインとのループ・運命に辿り着き、それを終着点としてゲームを終わることは、プレーヤーにとっての清潔さにもつながる。すなわち、ループものはプレーヤーがただのヤリチンにならないためのシステムである可能性があるのだ。
そうである以上、奏は絶対に愛理とはくっつかない。未来における奏は、佳織に対して清潔でなければならないからだ。
かくして愛理は、ゲーム制作者から「思い人とずっとともに研究を続け応援しつつ、思い人の夢が叶わなかった場合に初めて幸せになれるが、それが遂げられるか否かを確認するまで思い人を諦められない」というすさまじい悪夢を何周も経験させられたということだ。

次週から、「失われた(愛理の)過去を求めて」が始まります。お楽しみください。
来週さん来週さん、早く来てください。(愛理違い)

2019年1月30日水曜日

アニメ感想「アマガミ」(美也現象)

以下は2011.9.29のpostの転載です。

「美也現象」を説明する

橘純一(図1左)と橘美也(図1右)は兄妹である。なお、この二人はそれぞれ高校2年生、高校1年生である。加えて彼らの誕生日は、12月14日、6月22日である。

仮に「アマガミ」の舞台を2009年(発売年)とし、彼らの生年月日を改めて見直してみよう。なお、なお、設定から「原級留め置き」や高校での留年は無い。
橘純一:1993年12月14日
橘美也:1994年6月22日
おわかりだろうか。6か月と少ししか離れていないのである。190日だ。ここで、日本一小さい未熟児は、妊娠25週目に生まれた子供だという。約180日くらいか。
美也の健康さを考えると、そんなにギリギリなスケジュールで生まれたとは考えづらい。普通は「十月十日」はかかるはずである。

つまり美也は義理の妹である可能性が非常に高い。

この、一見取るに足らない設定から非常に重要な事実が浮かび上がることを私は「美也現象」と勝手に命名した。

つまり言いたいことは「美也とエッチしてもOK」

アニメ感想「ファンタジスタドール」

以下は2016.1.20のpostの転載です。

ファンタジスタドール視聴了。

あれ?なんかスゲーいい話にまとまった。なぜだ……7話のときにはあんなに滅茶苦茶だったのに……
作品を通じて、「正義」や、「裏切る」等の単純な言葉が否定され、もっと世界が複雑であることが示されてて、興味深かった。単純な言葉はドールが喋って、マスターがそれを否定するシーンが多かったため、カードゲームアニメ(?)にしては、わりとドールとマスターとの違いがあったといえる。主にドールが複雑な思想を持てないあたり。

委員長的には、「希望」ってのは信念であって、それを突き詰めることで注力先を絞り、結果的に望みをかなえられるってことなのね。結構まともに思想を持った人だったので好感

うずめちゃん、結局カードゲームの能力を最後の最後まで発揮できず劇終。ポーカーで一度だけデスティニードローしたくらいか。
それ以外にもいくつも回収されない伏線っぽいものはいっぱいあったけど……まあいいか。ドールはみんな個性が発揮されてめちゃくちゃ可愛かったし。チーム制を含め、キャラデザはかなり優秀だった。
楽しめた。及第点のクソアニメであった。

希望の交換をしましょう(意味深)

アニメ感想「てさぐれ!部活もの」

以下は2015.8.30のpostの転載です。

「てさぐれ!部活もの」をようやく知る俺。2年前だぞ。

【てさぐれ!部活もの】1期と2期とすぴんおふのOPを繋げてみた
メタネタは基本嫌いなんだけど、ここまで完成度が高いと評価せざるを得ない。

【てさぐれ】よくあるOPが秋アニメ39作品にどれくらいあるか検証してみた
でも検証してみると、意外とテンプレどおりってのも多くないんだね。「カメラが下から~」がピタッとハマるともう快感すら覚えるようになってしまった。
ところでこの検証動画って、けっこう注目しちゃうから楽しいよね。時間かかるから、見てるうちに艦これ夏イベントE5クリアしちゃった。
クオリティが玉石混交だけど、MADがたくさん作られてるのも興味深い。

てさぐれ!麻雀もの  阿知賀編
中でも「咲 阿知賀編」はすごい!甘めの13年夏OP検証基準なら16点(整列していない)、厳しめ採点の13年秋OP検証基準でも、1~7は完璧なので14点か15点はいくと思われる。
もう少し探せば、おそらく完璧なOPもどこかに埋もれているのだろう。

※参考
アニメOPのあるある集
海外MADが元ネタ?

アニメ感想「ウィッチクラフトワークス」

以下は2014.4.5のpostの転載です。

「ウィッチクラフトワークス」見終わりました。

けっこう面白かったです。

・まず、僕はテーマソングが好みか否かが非常に重要であるところ、当作はEDがとても好みだから。単純だけど、女の子が複数人で歌ってる歌はいいね。テンポも良くて、映像もなかなか。本編でのカラオケをイメージしてるのかもしれない。

・次に、「魔法少女もの」には珍しく、全員本気で事に当たっていること。負けはしたが、倉石が序盤で主人公を殺すために彼女の持つ全兵力をつぎ込んだあたりで、「この作品は『やってくれる』」と思ったものだ。
これはわりといら立ちを込めて述べることだが、魔法使いが出てくる話、特に美少女アニメには真剣さが足りない。世界を救うだの何だの言ってる間に、やれ男の子が何だの、ボスが「まだ奥の手があるよ」だの言っている。特撮かよ。
「人造昆虫カブトボーグV×V」という作品の中に、悪役が犯行予告より早く計画を実行する話があったが、僕はあれを高く評価する。世界を壊そうとか大きな事を為そうとか言う人は、手加減をしてはならぬ。
あと街が結構めちゃくちゃになってるところから、本気さが伝わってきて良かった。主人公が何とかしちゃったけど、あれは「不可逆を嫌う」ことについてはまた語る時が来よう。

・「白いアレ」が出てきてからは、話はわかりやすくなったけどつまらなくなった気がする。白いアレがでてきてからは、なんというか、アクセルワールドっぽいというか……いつもの「主人公が男で女の子が主体の特殊能力モノ」になってたので、面白みはぜーんぜんだったね。

・悪役とはいえ、何カ月もかかって準備してたのに、強大な魔女の前にアッサリ破られるのは心が痛むねえ……。主人公と言うのは、かくも非情な存在なのだ。

・主人公がヘタレなのは逆に興味深い。自分の腕なり命なりを差し出す際には全くもって躊躇なしなのに、火々里にキスするのにめちゃくちゃ動揺してるのはどうかと思うんだけど……。ラブコメでキスというのは、街の一大危機よりも重いということがはっきり示された。

アニメ感想「天体のメソッド」

以下は2015.1.22のpostの転載です。

「天体のメソッド」視聴終了

どっからどう見ても北海道版「あの花」……!
違うのは恋愛絡まないこと?まあどうでもいいんだけど。
主人公が結構しっかり意志を持って動く子だったので、くじけそうになっても安心して見続けられました。
やっぱ魅力の半分以上は主題歌!OPやEDの入り方は毎回見事。主題歌を作品イメージとうまく結び付けている。

・ノエル
 円盤。
呼ばれると出る。願いが叶えられると消え、その後は皆の記憶からかき消える。

・乃々香
 はつらつとした健康的な美少女。こういうのが一番エロいと思うんだけど、どうか。
乃々香の行動の中で、最も大きく変わっているのは「約束」のしかた。すなわち、「相手の返事を待たずに一方的に予定を告げる」!!これによりモヤモヤしている相手はかつての友人であることを起点に「なんか行かなきゃいけない気がする」方向に誘導され、実は全然同意したわけではないのに約束の時刻に場所に赴いてしまう!!人の心理を突いた恐ろしい作戦である。乃々香はこれをまんまと利用し、必ず成功させなければならない場を成立させていった。
基本的に仲間はこはる。汐音がデレた8話以降は汐音が加わり、11話以降は柚季もまともになって交渉が比較的有利になっていった。

・汐音
 ツンデレ。しかし意外と、「テンプレでないツンデレ」って、昨今珍しいのではないか。
乃々香の「投げつけ約束」に屈しない数少ない人物wまあ遠くから見てたりするんだけど。
幼いころの約束を違えられたからと言って、ここまで一途なのも怖いな。汐音は他3名とは結局あんまり仲良くなれず、乃々香のみを待っていたんだろう。もはやエロゲー並の運命。時間が巻き戻っても覚えてるのは汐音だけだったしね。
 水坂兄妹やこはるは円盤によって生活が一変し、その影響は第1話開始時にも続いていた。しかし乃々香と汐音は円盤とは全く関係なく生きてきた。乃々香は住居が遠隔地であることもあり、円盤を気にせず成長。汐音は円盤よりも乃々香と一緒に流星群を見ることしか頭にないので、円盤無視。


・11話以降
 結局、あの世界はなんだったのだろう?別に「汐音が乃々香と再開した所から仲良くなるための世界」っていうんだったら、それはそれでいいとは思うんだけど、実際なんなのか。
もしかして、「7年前にノエルに会っていない人」は円盤のことを忘れてしまった??円盤=ノエルだとして、人々から「円盤」の記憶を消すとしても、ノエルを知ってる人は「円盤」の記憶だけを消すことはできず、これを免れる。ノエルに会ってた人は、確かに円盤があったときのことを覚えてても支障は無いな。混乱は来たすけど。
だとしたら、ノエルは2人の前に必ず姿を現すはずだ。もうそれは、物語としての必然である。


 本作は、どうも「過去」志向が強い。「前みたいに仲良くなれたらなあ」という雰囲気が作中でよく出てきた。
このへんも「あの花」とはコンセプトが違うなあと思っていた。「あの花」は「めんまの死を乗り越えて、その先歩いて行こう」だから。僕はそっちの未来志向の方が好きだなあ。

アニメ感想「魔法少女まどか☆マギカ」劇場版

以下は2018.11.7のpostの転載です。

仮説。
まどか☆マギカは、GMと、「キュゥべえ」と、「ほむら」がいるロールプレイ・ゲーム。


(以下に「魔法少女まどか☆マギカ」の致命的なネタバレを含みます。)


「一周目」は導入。

GM「ほむらは、何もかもがどんくさい中学生。転校初日に仲良くしてくれたまどかは、なんと魔法少女でした。しかし魔法少女とは、願い事の成就と引き換えに宇宙的なエネルギーを収集するキュゥべえの家畜のような存在だったのです。ほむらは、時間を巻き戻す力を使って、まどかが魔法少女になるのを阻止してください。」
ほむら「はい」
GM「キュゥべえ、あなたは母星から遣わされたエージェント。まどかは非常に有用な素材であることがわかっています。あなたは、どんな手を使ってもいいから、まどかを魔法少女にし、魔女化させてエネルギーを得てください。」
キュゥべえ「ボクは魔法を使ってもいいのかい?」
GM「キュゥべえはからだの再生以外は派手な魔法禁止です。魔法少女に魔法を使わせるのがあなたの役目です」
キュゥべえ「わかったよ」

ゲームは二周目から。
ほむらの勝利条件は、まどかを魔女化させずにワルプルギスの夜を越えること。
キュゥべえの勝利条件は、まどかを魔女にすること。
五周目で、ほむらはゲームに勝利したが、納得できずGMに延長を申し出た。

2019年1月29日火曜日

アニメ感想「アイドルマスター」劇場版

以下は2014.2.1~2.2のpostの転載です。

さて、アイマス劇場版をまず1回見てきましたが……

良い点はたくさんあるのですが、一言で言うと「出すぎ」。コレジャナイ感が非常に強いファーストインプレッションとなりました。
以下ネタばれです。

一、
劇場版で、やりたいことがわからないわけではないのです。
そもそも僕がTVアニメ版アイマスを超絶賛しているのは、本編後半で「765プロが全員集結することが少ない」からです。これにより視聴者は「765プロのアイドルに仕事がたくさんあり、それぞれに営業をしている」という認識を強く持つことができました。春香はこの状況に対してモヤモヤ感を持ち、春香の一時脱落をもって合同練習は中止に追い込まれていきました。
ここで春香は「どうして合同練習に来ないの!?」とメンバーに問うことはできません。仕事をしているに決まっており、それぞれの仕事は一件一件がないがしろにできない重要な案件だからです。春香が真と雪歩とで臨んだ現場で真は、気もそぞろな春香をいさめます。その現場は、物語前半では頼りなさばかりが目立った雪歩が初めてセンターを務める非常に大事な場でした。視聴者はこれにより、全ての現場が重要であることと、各アイドルが仕事を通じて成長していることを認識し、春香に感情移入します。場所のすれ違いは気持ちのすれ違いと直結します。各々の仕事現場に引き離され、予定が合わなくなり、唯一確実に全員が集まれる仕事である生放送(とは言え、千早が遠征行ってたりしてやはり集まれていない)が打ち切りになります。全員の心が一致しないと成功できるか不安であるライブを前に春香が危機感を覚えたのは妥当です。その鋭い感覚が見込まれたから春香はアリーナライブでリーダーを任されたのですから。
果たして春香以外は時間を共有することの重要さに気付き、春香にメッセージを送るわけです。

以上から、「同じ現場に一緒にいる」ということは、「全員の気持ちが一致している」ということを表しているのは明らかであり、劇場版で基本的にアイドル全員が一堂に会しているシーンが多いのは、アニメ版ではすれ違いの多かったアイドルが固い結束で結ばれていることを表しているとわかります。実際、練習に来なかった可奈とは心がすれ違っており、春香が千早のとき同様に可奈に会いに行くのは至極当たり前です。
しかし、合宿のシーンなどで「全員にも仕事がある」と主張しているとはいえ、やはり全編にわたって彼女らは仕事まみれにしてほしかった。売れっ子アイドルとして幾多の現場を見せてほしかった。それでこそ彼女らの成長を感じることができ、時間をすり合わせる努力も光るというものです。それを、全員で複数泊の合宿をしたり(スケジュール合わせる描写あったし、合宿だけなら僕もなんとも思わんのですが)、全員でミーティングをしたり、全員で事務所に集まったり、果ては全員で街を探しまわったりと……お前ら仕事しろ!!
だから一つ目の「出すぎ」は、「765プロのアイドルが一緒に出すぎ」です。

二、
二つ目の「出すぎ」は、「グリマスのキャラが没個性のまま出すぎ」です。まあでもこちらはそんなでもありません。
7人のグリマスキャラが登場し、合宿においてアイドルと触れ合うことで少しずつ打ち解けて行くのがわかりました。しかし、こんなに没個性な描き方でいいのか……?というのは疑問に思いました。奈緒の温泉好き設定や、百合子の妄想娘設定などが完全にスルーされ、可奈の甘いもの好き設定・変な節をつけて歌う設定のみが反映されたのは大変残念でした。
ただし、これには重要な反論が考えられます。「これはアイドルマスターの映画であり、グリマスの映画では無い。だから、単なるダンサー役のグリマスキャラに個性をつけるとかえってうるさくなる」です。これは実にまっとうな話であり、グリマス未経験者への配慮とも取れますので、僕の二点目の指摘は、僕の趣味の話として解決されます。例えば百合子の妄想設定出すと、せっかく満を持して公式化した小鳥さんの妄想と被ってしまいますからね。
でも、アリーナライブではちょっと前に出すぎなのでは……というシーンもありました。基本的には手拍子なので、バックダンサーとして間違いない動きをしているので、文句というには微妙ですか。

三、
上記2点が主ですが、他にも気に入らない点はあります。以下列挙。
・春香が可奈宅に行くのが遅すぎ。来ない→即訪問でもいいくらいなのに、ギリギリまで行かなかった。千早の時、直接家に行く行動力があったのに、可奈はそれほどでもありませんか。そうですか。
・志保、並びにグリマスメンバーができた子すぎ。せっかくビッグアイドルそろい踏みのミニライブに、単なるダンス教室のアイドル候補性が一緒に出してもらったのに、コケるとか常識的に考えてありえません。ゴシップは大いに叩いてよろしい。それなのに、控室では志保でさえ「あなたが一番できてないんじゃない」と指摘するにとどまりました。もっと責めなきゃダメでしょう!!
・そんなだから可奈が調子こきます。失敗して以後、可奈は練習に来なくなりましたが、その理由が「太ったから」。お前コケたの気にしてないのかよ!!!ライブに行ったことのある人は、自分の好きなアイドル等のライブでバックダンサーがコケることを想像してみてください。しかもミニライブであるから、台無しと言って差支えない重大事故であることがわかると思います。
・アイドルとプロデューサー以外のスタッフは逆に出なさすぎ。アイドル全員集合シーンばっかりならばそりゃーそうなりますが、TVアニメ版のような臨場感や現実味が消し飛んでいます。これにより劇場版そのものがフワフワしたものに感じ、悪い意味で「綺麗な物語」に終始していると感じました。

四、
三までで挙げたところ以外については良かったと思います。春香による全員の鼓舞(合宿最終日)、千早が発言をためらう動作(ライブに向けて意見を出し合う場にて複数回確認)・新たな趣味(写真)、伊織の複雑な気持ちと立場から出る悩ましいセリフ、律子はみんなと一緒に踊れましたし、美希はTVアニメ版で春香と競ったミュージカル主役のエピソードの時のような役を見事演じました。主人公の立ち回りも良かったし、ジュピターも良いシーンで出してくれました。
曲は何より素晴らしい。アイマス本編から持ち出しの曲に加えて新曲がちりばめられ、とても華やかでした。また、声優の演じ方や収録時のマイクの置き方の工夫など(音を拾う能力を犠牲にしてもアリーナの広さの演出を優先、劇場左/真ん中/右から聞こえる演出に差をつける、等)も感じられ、音声面では満足できました。

五、
四までが僕の劇場版への最初の感想です。これから二回目見に行って来ますが、その際にはもっと良い方への見方ができれば大変収穫と思います。



二回目です。

先に注意:
劇場版で出てきたキャラはグリーのスマホのゲーム「アイドルマスターミリオンライブ!」通称グリマスの登場人物。
モバゲーの「アイドルマスターシンデレラガールズ」通称モバマスとはキャラが全然違うので一応。でも、一瞬モバマスキャラも、劇場版に映りました。


六、
まず、一回目でわかってたけど感想に書いてなかったことから。

(1)初顔合わせの時などで、「よろしくお願いします」がグリマスキャラがバラバラなのに対して765プロはきっちり揃えてきているのは、錬度もそうですが「心が一致している」ことの表れだと思います。
他にも「765プロ~ファイト!」「オー!!」も、顔合わせすぐの時はグリマスメンバーとは揃いませんでしたが、アリーナのときは「目指せ!トップアイドル!!」と一致していました。心理面を台詞に映していく印象が非常に強い作品となりました。

(2)真と伊織がダンサーの振り付けの事で議論を戦わせているのを見てグリマスの百合子と杏奈が
「あれって、ケンカなのかな?」「違うと思う」という会話をしているのは非常に興味深い。やっぱできた子たちです。

(3)春香はちょっと思い切りが足りないな……。「一度一緒にやると決めたら、全員が家族!全員で最後までやる!脱落は許さないよ!!」とか言って即行可奈の家行ってほしかった。しかし、あれはあれで春香の個性か。
春香の良さは、自分だけでなく全員に目が行き、他との調整もできるところ。冷静であり他人に損害を与える発言は決してしない。もちろん、僕が選んだとしても、リーダーにするなら春香しかいない。

(4)最後のライブのシーン、パシフィコライブでの観客のリウムを使って合成したのだろうか?それにしてはバルログしてる人(3本以上のサイリウムを片手で持つこと)多すぎではないか……?それとも、アイマスライブってバルログばっかりなのか。

(5)公式である876プロは当然として、EDアニメーションの中で、他のグリマスキャラ(豊川風花、エミリー、徳川まつり等)やモバマスキャラ(渋谷凛)が出てる!グリマスキャラはともかく、渋谷が出るのは予想外でした。一応、服装がわかりやすい渋谷を選んだのは、顔を映さずに公式的には明示せず出すことができるからでしょうね。
あと、何気なく劇中の会場の名前にKirarinと入っていたりしたのは、これもモバマスを意識したか……?(『諸星きらり』という人気キャラがモバマスに存在)

(6)可奈がプチシューこぼすシーンがモーションキャプチャでちょっと気持ち悪かった。

(7)
・にひひっ
・Der変態!変態大人!
・寂しいわよ、寂しいに決まってるじゃない!
・伊織可愛い
・うぇ~ぶ!
・やよい超可愛い
・風呂場で千早「くっ」

(8)奈緒はわりと喋ってて僕は大変嬉しいです。大好きなので。関係ありませんがグリマスでは奈緒の好感度を一番上げてます。200超えました。

(9)可奈はなぜあのぬいぐるみにサインしてもらったのでしょう?イベントで配布されたグッズなのかしら?それとも非常に思い入れのある小物か。
僕だったらライブチケットにサインしてもらいたいな~と思いましたので。


七、
他、2回目で認識を得たこと・他人の感想を読んで気付いたこと等。

(1)
・あふぅ
・あはっ
・美希はやはり、春香・千早との3人の関係があるんだな。最後のライブでも示唆された。そういや「生っすか?サンデー」のMC3人はその観点で選ばれてたのか。

(2)志保、奈緒、美奈子は「できる子たちチーム」として、杏奈、星梨花、百合子は「がんばりましょうチーム」として若干差別化が図られていましたね。大雨で前者は伊織宅、後者は雪歩宅に泊まった際に。前者はやる気を維持し、精神的に可奈と近かったのは後者(メールが来たのは杏奈、アリーナで支えあったのも杏奈と星梨花)。

(3)映画自体、アイドルマスターの映画であって、グリマスの映画ではないのでグリマスメンバーの活躍は限定的でした。
主人公は春香で、伊織や美希や千早などがサポートし、あたかも自分の過去と向き合うような映画になっていましたね~。熱い!春香は可奈、雪歩は杏奈たち、伊織は志保、千早も美希も、自分の過去を志保に見ていたと思います。
逆から見ると、グリマスキャラにとって765プロは「輝き」の真っ最中。765プロメンバーは、後ろを振り返ることで、逆に先への展望を持つことができたのかもしれません。
日没のシーンで、「輝きの向こう側へ!」みたいにしたのがちょっとあざとかったですが、後輩の成長を見ることで、「向こう側へ」進む力を得た765プロを表現したんでしょうね。

(4)グリマスメンバーは地味なあたりを選んだとのこと。確かにエミリーとか朋花様とか茜ちゃんとか千鶴とか呼んだらストーリー食いかねんな……

(5)最低4泊5日!ホントよくスケジュール調整できましたね。プロデューサーさんお疲れ様。

アニメ感想「アイドルマスター」

以下は2014.1.25のpostの転載です。

アイマスのアニメ見終わった。

原作のある作品のアニメ化として最高レベル。「原作に忠実に、しかしオリジナルの話を」という要請に完璧に応えた例として後世に伝えるべき作品である。

ライブの見せ方、各人のエピソードの構成、プロデューサーの立ち位置、挿入歌、事務所の(一度に集まる人数等)演出、キャラクターの成長、……
ンもう全てが予想を越えて素晴らしかった。アイマス好きな人全てを祝福する最高の作品である。
あまりに良すぎて、尺としてもこの2クールというのが適当なのではないかとさえ思えてくる。長すぎると前半の雰囲気を振り返られなくなってくるし、短すぎては陳腐になりすぎる。
キャラクターの焦りやトラブル、最終盤の悩みなども、ありきたりの<<どこのアニメにでも転がっているような>>幼稚なものでなく、複雑で現場らしさが伝わってくるきわめて興味深い作りであった。
各種ネタも豊富に入っていた。アーケード版からのネタ、ニコニコ動画でネタになった部分を織り交ぜ、「わかる人にはわかる」作りになっていた。わからない人も、だからといってストーリーが追えなくなるわけではなかった。
個人的に否定要素が皆無で褒めるところしかない。マジやべーよ、なんで放映時ちゃんと見なかったんだよ(個人的にリアルがちょっと難しい局面だったせいです)

アイマスで好きなキャラはやよいなんだけど、アニメでは美希が非常に良かった。大人気アイドルへ一気に駆けあがって行く感じもとても感動したし、最も自身に素直なのが美希。ラブライブでも同じようなこと言ったな(にこ推し)。千早は良い仲間に会えてよかったねえ、本当。

最終回の曲は、作詞の畑が「どこま☆いつま・・・でしょう?」とタイトルつけてスタッフに裏切られたやつだっけ。畑らしい歌詞で、言われてみれば劇中テロップのタイトルよりもこちらの方がしっくりくる。

はああああああ良い作品だったあああああああああ

何度も見返す作品の一つになった。

アニメ感想「琴浦さん」第3話

以下は2013.1.27のpostの転載です。

これほどまでに次回が気になる作品も珍しいぞ

「琴浦さん」第1話\ニコニコ動画

そっっっそんなことないですっ(>п<)などひたすら可愛い琴浦に対し、選択肢を全て正解する真鍋。むしろ普通の選択肢より更に上回る行動を即興で考えているようにも見える。
なんて幸せな作品なんだ。君らには200点ずつあげるよ。3話までで上がりまくった真鍋株の配当だ。

と、思ったら、幸せすぎて1期がBAD ENDで終わってしまいましたとさ。何だそれええええええええええ
カップルが一時的に別れる展開は他の作品にもあるけど、だいたいは終盤だよね。琴浦は、他の作品が10話も20話もかけて歩む道のりを2話分で攻略したからあるいみ当然なのか。本当に真鍋優秀だよな。
ちなみに類型は「英国戀物語エマ」の1期。こちらは本当に1期12話終わっちゃったから、原作派でない人は2期が始まるまでワケわからなかったでしょうね。

次回から始まる2期が待ち遠しい!


各論。

・ESP研の二人が琴浦とテレパシー会話している件について
ESP研の先輩方は琴浦が心を読めることを利用している。
クラスメイトは、琴浦が心を読めることを警戒している。
どちらも、琴浦を、「心が読める」女の子だと認識している。
しかし、真鍋だけは、琴浦を「琴浦」とだけ、認識してるんだなあ。2828282828

・聖地?
図は日本海新聞。「琴浦さん」という名前は、「言葉の裏」という意味ではなく、作者が地名から何となくつけた名前だとか。マジかよ
鳥取県琴浦町は、聖地となれるのか……?

・森谷
完全に小悪党wwww
のわりに、メンタルの弱い琴浦や、イケメン真鍋にまでダメージを与えること自体には成功してしまうから、物語って非情よね。
悪者を弁護することが多い僕も、森谷は弁護しないよ。信念が無いからね。
2話でフラれたときに悟れや。最悪でも、3話冒頭で。
何も生まない、相手を傷つけるだけの行為は嫌い。

アニメ感想「おおかみこどもの雨と雪」

以下は2014.2.16のpostの転載です。

「おおかみこどもの雨と雪」見た。
ネタばれあり感想。

どうもこのタイトルは、主人公である花がつけたものであるのだろう。
わかりやすくタイトルをつければ、「おおかみ嫁・花の子育て日誌」であるw

僕の涙腺崩壊は「しっかり生きて」のシーン。ベタで結構。

そろそろネタばれしても大丈夫な行かな。

ストーリーを考える際、普通主眼とするのはドラマ性である。誰かにいじめられて、機転を利かせて一挙解決する……おおかみこどもはそういう物語ではない。
日常や、生活一般の方に力を入れている。必要だからそうしている、ということを描いている。
花が選択したから田舎に住むことになったわけだし、お金がないから畑を耕す。花は実に「ありのまま」に生きており、果てしなく美しい。使い古された表現で言うと、「母は強し」であろうが、どうも「おおかみこども」、あるいは細田の作品は「わかりやすく世間に通用する言葉」を使わずに作品を表現しているような気がするので、不適切な言葉かもしれない。
ただし、感情吐露については「怖かった」「辛かった」とハッキリ告げる。このへんが特色かもしれない。

都会の中、周りに頼ることができない状況は、現代の「家族」の様子を反映しているようでつらい。花、ホントメンタル強いと思う。
田舎暮らしのシーンでは、会話のセリフが極力口語に徹しており非常に良い。特に家を紹介する際の市?職員が最高。もちろん、他のシーンも。

雨が旅立つシーンは、男の子と母の関係を見事に描いており、ついつい落涙(フィクションで泣くのは半年振り2回目)。
山で力尽きたところで「どこかで震えてるんじゃない?帰れなくて泣いてるんじゃ?……私が守ってあげなきゃ……」まだ、子離れしてません。雨10歳ですしね。
続いて狼男の「雨は、もう大人だよ」「自分の世界を見つけたんだ」。しっかり準備させてきてます。狼として、男としての、旅立ちを告げてくれています。
そして花の「あなたに何もしてあげてない」が非常に効く。それまで長く花の子育て物語を見てきた者が、公平に見てそんなことを思うはずがないのだ。それに反して花の言。「母」。
とどめ、立て続けに「雨ぇええ!」←3回絶叫があるが、2回目のが特に良い、先の母の言に答えるような遠吠え、旅立ちを理解した母の「元気で、しっかり生きて!」、夜明けとBGM。

あああああいいなああああああ

良い話でした。

アニメ感想「あの日見た花の名前を僕はまだ知らない」劇場版

以下は2013.9.1のpostの転載です。

劇場版「あの花」見てきた!

時系列がめちゃくちゃで、初見だとたぶん何が起こってるかわからんと思う。僕は放映版見たからわかったけど。
んで、これは僕にとって非常に注目すべきことがあって、人生で初めてフィクションで泣いてしまった。映画館で泣いたのも初めてだし、アニメで泣いたのも当然初めて。
バイトのシーン、「かっけーんスよ」でスイッチが入り、「secret base」で涙腺崩壊。やっぱね、陳腐でも盛り上げられると泣いちゃうんだなと。
ボロボロ泣いてしまったから、なんか自分で驚いた。放映時は、あまり感情が入らなかったので。一旦、全体の話を見てからの方が、僕は泣けるのかもな。
子ども時代のじんたんとめんまの話も良かった。やっぱ、じんたん、かっけーッス。



「あの花」は小ネタが充実してるのが特徴で、いくらかはきちんと残ってて、または新たに作ってあってとても良かった。ただし、ですよ。のネタが無くなってたのは残念。あれ好きだったから。



また、泣くために、映画館行こうかなあ。

アニメ感想「俺の彼女と幼なじみが修羅場過ぎる」

以下は2013.3.31のpostの転載です。

俺修羅見終わった。
赤崎とゆかりんの演技を楽しむアニメだった気がする。
赤崎やっぱ良いわ。

以下ネタばれ


結局夏EDかよ……春好き(というか幼なじみ好き)にはつらい展開だ
途中から夏ルートだったから、そうかなあとは思ってたけども。
A太は最終話もずい分ひどかったけども、秋の出番で抱きしめてやった直後に、夏の出番でチューは無いわ。これは百年の恋も冷めるレベル。しかし秋、<2番でも3番以下でも嫌いになられてもいい>だなんて、お前何言ってんのかわかってんの?わかってないんだろうなあ。

しかし様々な要素を最大限利用して、最終的にA太をかっさらった夏はさすがだ。モテカワはともかくとして、意中の異性に<自分はかわいそう>と見せて振り向かせる技術はベタだが興味深い。春や秋にはぜひ見習ってほしいところだ。特に色々だまくらかして「彼女」になってしまったのが大きい。男は既成事実を覆すのが苦手なのだ。
春は、ちゃんと行動した冬と違い、受け身になりすぎていた点が敗因だろう(むろんまだ負けと決まったわけではないが)。幼なじみらしく振舞い、幼なじみらしく敗退した。暴力キャラになるか、空気を読まないキャラになるしか勝因はなかったので、つらいがしかたないのかもしれない。
秋はまあ……うん。
冬は春に輪をかけて空気を読み過ぎていた。花火のとき、なぜ身を隠した?少なくとも春に対してアドバンテージを得るチャンスだったのに?負けを悟っていたからではないか。出番が遅いところからして、スタートしたら既にゴール付近で春夏の争いだったというところかな。

水着選ぶシーンからこっち、A太のクズっぷりばかり気になってた。
夏は振られるなり野垂れ死ぬなり勝手にしてくれていいが、春には幸せになっていただきたい。