2019年4月1日月曜日

インド国歌に見る「歌」「節」「曲」について

以下は2013.4.7のpostの転載です。


【要約】「君が代」のメロディが微妙なわけについて勝手な考察

日本語の楽曲は、音楽がついて無い順に

歌→節→曲

だと思いついた。以下勝手な定義

もともと、「歌」には音楽は付いてないんだよ、言葉それ自身が楽曲というか。和歌とか長歌ってあるじゃん、あれが「歌」なんだろうよ。それらの詠み方は、決められていない。個人が良いと思う声の高低で詠むだけだ。ただ、ふつうはそんなに抑揚をつけない。言葉それ自体を重視するためかもしれない。

「節」は、言葉だけだったところに、形式的にメロディをつけたもの。盆踊りとか演歌は「節」にカテゴライズされるのではないか。「東京節」という流行歌があるが、あれはアメリカの行軍歌の替え歌。「鉄道唱歌」は何百番までも続くが全部メロディは同じ。重要なのはメロディでなく詞なので、これらは成立する。

んで「曲」が登場する。現在のJ-POPとかいうのは大体これで間違いなかろう。詞とメロディの立場が逆転し、メロディによって楽曲がアイデンティファイされるようになっている。詞はどうでもいいモノばかりで、メロディの作りこみにこそ尊敬が集まる時代である。

詞とメロディ、どちらが高尚であると言う気はない。
しかし、日本はもともと、メロディではなく、詞を重視してきた可能性がある。外国のメロディを見てみると、ロマのメロディや、アラブはこんな感じだとか、厳然としてあるのに、日本にはない。これだけ天皇家の歴史が長いのに残っていない。逆に「歌」は腐るほど残っている。

どの国にも、国歌というものがある。日本の国歌は「君が代」、ロシアの国歌は「祖国は我らのために」。

ロシア国歌は、だいぶ前からあるメロディだけど、同じ曲で歌詞が3回変更されている。まあ一時的にソ連賛美の歌詞になったからだとか理由はいろいろあるんだけど、歌詞が比較的変更される傾向にあるのは間違いあるまい。しかもソ連崩壊後、数年間は歌詞の存在さえなく、プーチンが作るまでメロディだけの曲だった。
世界的にも、歌詞はモンゴルみたいにコロコロ替わってもメロディが変更された例はあまり無い。ロシアが、フランスの流行歌を採用した時があったけど、まあフランスコンプレックスのソビエトだから勘弁してやってくれ。メロディだけの曲も、実は国歌としては全然珍しくない。スペインとかがそう。

逆に「君が代」は、歌詞は平安時代から変わってないのにメロディは後付け、しかも本決まりまでに何度か変更され、結局雅楽みたいなメロディに落ち着いている。


僕の勝手な定義でいえば、世界の国歌は「曲」で間違いないが、「君が代」は「歌」または「節」であり、「曲」ではない。
「君が代」のメロディが微妙なのはそのせい。「節」気分で「詠んで」いるものを、無理やり音符にひっつけてるんだから。
同じ感覚を、インドの国歌に感じる。歌詞の歴史は短い(歌詞読めばわかる)んだけど、メロディーはやっぱ「節」って感じなんだよな。
INDIA NATIONAL ANTHEM JaNa GaNa MaNa Lyrics in Japanese

0 件のコメント:

コメントを投稿