2019年3月31日日曜日

見えない力学について

以下は2014.11.24のpostの転載です。

僕は、「可能なことは、行われる」という立場を採っている。

それがどんなに非道なことであれ、矛盾していることであれ、卑怯であれ、無配慮であろうとも、可能であるということは、行われる可能性が十分にあると考える。

また、行われる場合は、その理由として行為者の利益や、状況の限定が考慮される。
行われない場合は、そのいずれかを欠く。

マーフィーの法則も非常に興味深いけど、これはちょっと角度が異なる。
「人が、悪意を持って行うこと」に適用するつもりで作った言葉。「誰もそんなことしねえよwwwww」という考えに対抗するためでもある。





以下は2012.9.19のpostの転載です。

「力を持つものは勝ち、持たないものは負ける。」
僕はこれを全ての基礎としてさまざまな考察をしている。
なお、「勝つ」の定義は「自分が思った通り・それ以上の結果を得ること」、「負ける」はそれ以外。
また、「力」とは物理的な力以外にも、他人を動かす力や事を有利に運ぶ力も含める。

 例を挙げよう。
ある女Aが、男Bを痴漢の罪で告発した。Bは無実だが、いろいろあってAはBから示談金をせしめることができた。
この場合、Aは勝ち、Bは負けた。それはなぜか?
Aが持っている力は、とにかく先手を取った勢い(Bの思いがけないことをした)があること、痴漢の告発では女が有利であること、っていうか猥褻周りの法律の適用が圧倒的に女より男に多いこと、自分は被害者であると強弁することで得られる周囲の同情、などである。
Bが持っている力は、やっていないという事実だが、証拠は無く有力ではない。しかもAの持つ力は強大なため、対抗するにはもう少し材料が必要だ。
また、Aはもし「負け」ても、「間違えちゃったーごめんねテヘペロ」で済むが、Bは「勝っ」ても得るものは何もない。Aには戦いにリスクがない。Bには戦うメリットがない。これによって士気の差が大幅に開く。Aが勝つのは、そう考えれば必然である。Bが勝つためには、常日頃から法律の勉強をしておくとか、知り合いの弁護士を持っておくとかの準備が必要だったが、まあ公平に見て不利だ。

 世の中に「力」は無限の種類があるが、この相対的強さは場によって変化する。
たとえば、ここに1週間先のことが目に見えるようにわかる者Cがいたとして、同時に、この世にギャンブルの存在が無かったとする。すると、Cは、周りの人々の尊敬は受けるかもしれないが、おそらく現実よりは多くの富は得られないだろう。Cの力は非常に強力だが、力が及ぼす影響力の大きさは流動的である。
アイスホッケーの名手のDの名声は、北アメリカでは轟くかもしれないが、日本では微妙だろう。「アイスホッケーのうまさ」という「力」が、大きく扱われないからだ。

 だから、数多くの「力」を持っていると様々な場面で有利になることが多い。一種類しか無い「力」は、その「力」が通用しない場にあっては、意味をなさないからだ。アニメを知らない人々の前で、アニメの薀蓄を語っても、まったく有利に事が運ばないのと同じである。
人間には、取得可能な「力」の種類が多い。これが他の動物だと、イケメンである、ケンカが強い、そのくらいだろう。だから、僕は「動物」でなく「人間」であるために、多くの種類の「力」を求めるべきだと思う。
「日本語がわかる」だけではなく「英語もちょっとはわかる」、「サッカーの達人」だけではなく「野球もルールくらいならカンペキ」、など、自分の保有する「力」に多様性を持たせ、使う場面を有効に間違わなければ、きっと、男も女に勝てる。


はずだ。


いや、やっぱ無理かな......女は団結して既に営々と積み上げてるからな、女が有利な社会にするための、社会の常識、という「力」を。(例:「暴力は罪」として、男が持つ有効な力が一つ封印されてる)


なお、ここでは「善」「悪」については述べていない。述べるとしたら、「善」は他人を同調させ自分の味方を増やす「力」だ。

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