2019年3月16日土曜日

機会の価値についての考察

以下は2012.9.4のpostの転載です。
 いつものアンサク覚悟のPOSTするね。

 <人は、常に工夫し、大切なものを守るために戦わねばならぬ。>

 転売屋の是非を問う人は多い。転売屋は、確かに、ある人々にとっては大きな敵だ。ところで、転売屋はなぜ「敵」なのだろうか?
転売屋がいることで損をする、と主張する人々は、主に、ある商品を定価で欲しいのに、転売屋がいることで定価より値段が高くなってしまい不満を持つ。しかし、よく考えてみれば、彼らは転売屋より早く商品を買えば定価で商品を買えるわけで、単純に「転売屋が邪魔するから自分が商品を手に入れられない」という図式ではないはずだ。たとえば、金で人を雇い、商品をパシってきてもらえば、オークションより安い出費で商品を手に入れることができるだろう。

 シチュエーションをいくつか仮定してみよう。

(i)ある数量限定のグッズが売られたとする。そのグッズは、限られた店に限られた数しか置かれない。また、需要量よりもはるかに少ない数しか供給されない。これを、 ニートの転売屋 と、 グッズが欲しいけどその日に絶対抜けられない仕事が入っている会社員 の立場で考えてみよう。またこの場合、定価は5000円でオークション価格は15000円とする。送料などは無視する。
ニートの転売屋は、10時の開店に何時間も前から並ぶことができる。金は親などに借りられる。5万円借りたら、10万円の儲け。購入限定数?知るか!10周すればいいんだろ!てなもんだ。
9時から、最低2時間かかる会議が入っている会社員は、店に並べない。11時から1時間の時間休をとっても、後の祭りである。
 この場合、会社員はどうしてグッズを手に入れられなかったのだろう?ニートはなぜ儲けられたのだろう?
簡単だ、開店時刻前後、10時周りの時間を、会社員は仕事に費やし、ニートは転売に費やしたからだ。会社員は、この時間を仕事に使わなかった場合、定職を失い人生に大きな影響を与える可能性があった。それは、1万円では到底贖えない。それくらいは容易にわかるため、会社員は「仕事を抜ける」という選択をしなかった。ニートは、時間がほぼ無限にある。9時から11時という、微妙な時間を、寝て過ごすのではなく小金を稼ぐために使うのなら、ニートとしては上々である。ただし、定職はなく、同様のおいしいイベントがそう年に何度もあるわけではない。10万円出しても、定職を持つ者に比べたら、圧倒的に「持たざる者」であることは間違いない。もともと、会社員には「仕事」があり(もちろん良い意味である)、ニートには「時間」があった。どちらも、「グッズ」と自分の持っているものとを秤にかけて、前者は「仕事」を、後者は「グッズ」を取っただけだ。

(ii)ある非常に数が限られたグッズが抽選で当たるくじ引きがあったとする。その抽選は、はがきでの応募に限られ、同一の人が複数人応募してはいけないということになっていた。これを、 はがきを可能な限り送る転売屋 と、 グッズが欲しいけどはがきは1枚しか送らない者 の立場で考えてみよう。
転売屋は知り合いや家族などの名前を借りるため、ほうぼうに電話をするだろう。その甲斐あって、はがきを100枚送り、見事当選。後者は律儀に自分の名前しか書かず、落選した。
 この場合は、会社員がはがきを複数枚送る努力をしなかった落ち度があることは明白である。また、このグッズは、本来手に入れる手段が100%抽選であることから非常に限られた機会しか与えられなかったはずなのに、転売屋のおかげで金さえ出せば確実に手に入る品へと変身する。10万でも100万でも、欲しい人は欲しい。

(iii)アイドルのコンサートのチケットが売られたとする。まずファンクラブ(FC)向けに売られ、残った分が一般向けに売られる。FCでの応募数が多い場合、FCの販売でも抽選が行われる。これを、 FCには入ってるけどコンサートに行くつもりはない転売屋 と、 チケットが欲しいけどFCには入っていない者 の立場で考えてみよう。
FCに入っていれば、かなりチケットを手に入れられる機会は大きくなる。

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