2019年1月29日火曜日

アニメ感想「Charlotte」第3話

以下は2015.8.4のpostの転載です。


Charlotteがもう……なんか……
まあ第3話を見てたんですけどね、これが、その、ものすごい「エロゲー臭」がして、げんなりしてしまったのですよ(後述)
同じ気持ちは「Fortune Arterial」の3話以来。やはり3話は作品の特徴が最も出やすいところなのか?

げんなりしたのは、具体的には3話後半。前半は、滑って滑って滑らせることを目的とした滑り芸のごとくダダ滑りする麻枝独特の滑りギャグ以外はとても面白かった。
しかし視聴者をほぼ完全無視し、「偉い人」にひと泡吹かせるあたりから頭が痛くなってきた。簡単にやられるSP、出会って間もないのに完璧に息の合った連携、さらにその後の告白シーンはさらにひどい。何なの一体、中学生の演劇かなんかなの?と思うくらいわざとらしいセリフの連続。残り数分だったから、なんとか最後まで見られたけど、いやあ恐ろしい数分だった。
うまくいくのは理由があるから十分理解できる。しかし、あまりに過程をぶっ飛ばし、机上で書いたようなセリフ回しが多すぎやしないだろうか。「全員が次に起こる出来事を知っていて、かつその進行に協力している」としか考えられない察しの良さと芝居臭さにおぞけがした。
わざとらしいセリフ回しや、エロゲー的な演出は、他の作品でも散見されるのだが、自分が見た中で特に濃かったのが「Fortune Arterial」と今回。これを「エロゲー臭い」と評した。

あと、前半部分になるが、「プロダクションの責任者に追われているが、どうしよう」って部分あたりから気に入らないところはあった。これは、「Angel Beats!」にも共通するところだが、「徹底的な『大人』の否定」を強く感じたからだ。
ABにも本作にも、(今のところ)味方である「大人」は一人も登場しない。そしてそれは当然のように認識されている。「大人」は利己的で保身と金にしか興味がなく、能力に乏しく創造性が無い、従う価値のない存在に描かれている。本作では保護対象の子供にアプローチするのは子供であって、大人はそれを害する者としてしか描かれない。ABでも、立華を貶めた際のテストの監督をしていた先生の存在は無視され、「死んだ世界戦線」の子供たちの記憶には大人の恩は皆無。
僕はこれを容認しきれない。上記で「大人」と言ったがだいたい19歳以上の年齢の者を指して言ったつもりだ。それらがまるごと敵だなんてゆがんだ世界はあり得ない。力が無かった子供が知識を積み重ねて、大人になったら理想を実現しようという姿が見当たらないのであれば、それはどんなにか暗い世界なのか。麻枝の世界では社会に出たら人間はみな子供の敵になるのか。

僕がABを嫌うのはまさにその部分においてだ。象徴的な台詞がこうだ。最終回、卒業式のシーン。
「校歌って大体似たようなものじゃん。適当に歌っとけば合うだろ?」。
世の作曲家の前で同じことを言ってみろ、麻枝。え?

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