2019年2月2日土曜日

マンガ感想「聲の形」

以下は2013.2.24のpostの転載です。

聞け。怠惰なる我が自己よ。

木曜に「聲の形」読んだ。
一言で言うと大人によって翻弄される子供の話。
「いじめは楽しい」という旨の内容が書いてあったのが良かった。だって善悪置いとけばいじめは楽しいもん。



読み終わるか、読んでいる途中に、「なぜ、聴覚障害を持つ児童が、普通級に来たのか?」ということを疑問として持たねばならない。
耳がほとんど聞こえない児童は、普通級では学習が滞る。それは担任の教諭が合唱コンクールに際して指摘したとおりだ。それを、きこえの教室の教諭は、「うたえるようになりたい」という本児の言葉を曲解して、普通級の者と同様に扱った。これは、本児の「適切な教育を受ける権利」を侵す行為だ。「教育を受けさせる義務」を果たしていない、憲法違反ともいえる。
そう、そもそも普通級に入れようとする親がおかしいのだ。あるいは、それを止めなかった家庭児童相談室。一瞬、中途失聴だから障害の受容ができてないのかな?と思ったけど、唇読めるし発音ダメなので先天性の障害だろう。マジで親が何を考えてるのかわからない。よく本児みたいな良い子が育ったな。

また、本作の読むべき点は、本児の聴覚障害をかわいそうと思うことではなく、いじめってこんな感じだよということを再認識することだ。
いじめには、きっかけが必要である。誰も特徴を発現させなければ、いじめは起こらない。本児へのいじめは、合唱コンクールでみんなの足を引っ張ったところから本格化する。主人公へのいじめは、本児へのいじめの責任を問われたところから始まる。
いじめは、「場」の支配者が、「コイツはいじめていいぞ」と言うことで始まる。例外はごく少ない。ひとたび許可が出れば、主人公が言うとおりいじめは楽しいので、止まるはずがない。なお、本作において子供には「場」の支配者となる要素はなかった。「場」の支配者は担任である。せいぜい小学生なので、これは妥当な描写だ。


以上二点が興味深かった。
最後の手話は感動的だったし硝子ちゃん可愛かったね。
ネットの感想では下が非常に良い。

週刊少年マガジン『聲の形』大今良時
http://mangaonweb.com/creatorDiarypage.do?cn=47942&dn=36195
「まずみじさんがちらっと言った「クラスの子悪く描き過ぎ」っていうの

私は「そうかな?」って思いました。

クラスの誰もが「やる側」を止めようともせず
自分で善悪を考えることをやめて
流れに乗って「やる側」に加わる。
その『加わる』もあからさまな加害者にはなろうとせずに
適度な距離を保って
「私はダメだとは思ってるんだよ?」
と言える線は越えようとしない。

これってかなりリアルだと私は思うんです。」

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