2019年3月31日日曜日

障害について

以下は某記事の転載です。

聴覚障害者の聞こえの可視化
http://news.livedoor.com/article/detail/8534242/




以下は某記事の転載です。

年収1000万の発達障害者が「ADHDのタスク管理術」について語ってく
http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/50407478.html





以下は2013.6.17のpostの転載です。

乙武入店拒否(笑)問題に「勇者と魔王」モティーフを見た。

「勇者と魔王」モティーフに、「魔王を倒した(あるいは、旅を制覇した)勇者は非常に強い」というものが頻出する。

「BOSS DEATH」というボカロ曲( 【PV】 Boss Death歌ってみたver.バルシェ【DLM】 )に

「山ごと切り裂く刃でリンゴを剥く 待っているのは何て歪んだ暮らし
海ごと焼きつくす炎で暖炉に火を灯す 力とはそういうものでしょうか」

と歌われているのがわかりやすい。



大きな力を持ってしまったら、それを捨てるか封印するまで現実の歪みはなくならない。まして、力の行使者が「勇者」であるときは特に。




乙武は今回、このような立場にあったろうと思われる。「五体不満足」という旅を紹介し、乙武は「勇者」となった。「仲間」や、彼を支える世界中の支援者とともに。

そして、その大きすぎる力をふるって「暖炉に火を灯した」。理由は「仲間を守るため」である。

ナマ身の生物にとって、大きすぎる「力」は、やはり邪魔でしかないのだと感じた。


乙武氏に名指し批判されたレストラン、毎日のように無言電話の被害受ける/痛いニュース
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1763977.html







以下は2014.7.30のpostの転載です。

うつ 薬 自殺企図 わたしの経験 https://www.youtube.com/watch?v=Dlywmq8GbeQ


まあ、良くある話で。
「自分がこのような経験をしたのだから、他の人についても全て一般化できる」

という暴論がはびこります。

この人については、過剰な投薬をされたことで、思考にロックがかかっていたのはほとんど本当なのだと思います。

しかし、「鬱」の一言で片づけられがちな症状は、人によって差があり、ケースによっては、やや多いかな?と思ってしまう量も必要となることもあります。

この人は、実は自分で気づいているのですが、「100%信じる」「100%疑う」ということしかできない状態です。自分が良い状態にある時に体験したことを元にしたら、たまたま「(多量投)薬は悪」という結論に至っただけです。

更に、この動画の大変罪深い点は、悪かったという結論が出てるのは「多量投薬」だけのはずなのに、勝手にそれを「薬全部が悪い」「精神医療全部が悪い」「政府が悪い」と話を過剰に拡大していっていることです。これを僕は「坊主-袈裟理論(坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い、という意味)」と呼んでいます。これによって勝手に「薬を飲まなければ良くなるのか!あの医師、自分を叱ってばっかいるし、きっとこの動画の人みたいに、薬飲むのやめた方が症状良くなるよなー」なんて最悪な勘違いを呼ぶ可能性があります。

薬を飲んでないのは治療を始める前の状態と同じであり、治療が必要だから医者に行ってるわけです。冷静に考えればわかるはずですが、心理的な病気ということもあり、この話を盲信してしまう人は一定の割合でいると考えます。

薬飲むのを勝手に止めて症状が重くなった例も人格が崩壊した例も知ってるので、できればそうした例が少なくなってほしいのです。




以下は2015.6.3のpostの転載です。


差別の話題が出たので。




僕にとっては、わりと差別の話題は身近。だってもうすぐですよ。「障害者差別解消法」が施行されるの。リンク先は、「日本障害フォーラム」という団体が作ったパンフレット(.pdfファイル)。全編読んでほしいけど、とりあえず11ページをご覧ください。




引用始「この法律が禁止する差別は?(以下適宜略)

(1)不当な差別的取り扱い

(2)合理的配慮を行わないこと」引用終




まとめると、「障害と関係ない事物のことで、不当に障害者の権利を取り上げてはならない」「障害者の権利を守るために、その対応をする人は、代替案が無い場合は無理のない範囲で合理的配慮を行わなければならない」ってこと。




このあたりにおける、「障害」を、「人種」や「性別」等に換えてもある程度は意味の通るものになると思う。




それを踏まえて、「差別」を次のように考える。

「誰かの特徴、特性、境遇を知った上で、

自分には認められている権利(ここには『人権』が主に問題になる)について、

彼の権利を無視、または意図的におとしめること。」




今書いた文章だから、突っ込みどころは大いにあると思うので、その辺は勘弁。ただ、ブラッシュアップして行きたいからどんどんツッコンでほしい。




以下は2016.9.27のpostの転載です。






発達障害の人と関わっている際に、”健常者”のことを「定型発達」と言う。

もちろん、発達障害、もしくは自閉スペクトラムのうち自閉傾向の強い人たちに対して差別的にならないよう用いる語なんだけども、その「定型」ってなんだよ、と思う。




自閉的な要素は誰しもが持ってるわけで、その発現の程度は連続的だ。




どの要素があれば「非定型」なのか?どこまでが「定型」なのか?「定型」って何だ?診察する医師にとって「自分と異なる」のを「非定型」と言ってるだけなのではないか?

医師はそんなに正義なのか?医師と異なったら障害なのか?それが「精神障害」なのか?だいたい、特徴づけられる発達障害のパタンはいくつかあるのだから、それこそ「定型」と名付けるべきなのではないか?




健常者の一方的な理屈には、時々閉口する。

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