2019年3月31日日曜日

持論・未否定仮説について


以下は2014.1.27のpostの転載です。

我流の未否定仮説、
「理屈は感情より後に来る。」
の汎用性が高くて我ながらビビる。
この程度、哲学界隈ではきっと超当たり前なんだろうけど、勉強してないから誰の言葉で残ってるか全然知らない。知ってる方教えてください。


例:新聞Aが事象Bのことを否定的に書いた。
この例では、Aの記者が取材する段階や、編集段階か、つまり原稿を書く前で、Bのことを否定的に書こうという方針が決まっている。
Bが地球温暖化で、Aの記者が「地球温暖化とか嘘に決まってんだろ」と思っていたら、相当すごいことが無いかぎり記事は地球温暖化を否定する内容となる。データなんて見ようによってどうとでも解釈ができるし、それでも否定できなかったら最後に嫌味を言うだけでも記事全体は否定の向きを帯びる。

例:艦これの駆逐艦の中で、遠征時に最も燃料を少なく消費するのは睦月型である。
事実である(艦これの話でごめん)。この理屈は、ユーザCが駆逐艦の燃費をきちんと知りたいと思い立ち、実際に計算したからできた。このようなデータレベルでは、「知りたい」というプラスでもマイナスでもないニュートラルな感情が存在可能だ。この後、「遠征時にはできるだけ燃料消費の少ない艦娘を出撃させたい」という感情が生まれ、「睦月型が一番良い」という理屈が生まれる。順番は逆にはならない。

ごく稀な場合を除いて、この世のあらゆる理屈は感情よりも後に生成されているということを、日々確認しながら生きてゆきたい。






以下は2016.6.25のpostの転載です。


(自分メモ、未否定仮説)
きのこたけのこ戦争は、相手を打ち負かすというより、「自分はこっちが好きだぞ」って主張をしたり、相手をケチョンケチョンにけなしたりできるのが盛り上がる原因のように思う。
つまり、人は褒めたがっている。けなしたがっている。それによって快楽を得ている。すると、それを「金を出してもやりたい」と思う人はいるはずだよね。
「自由に褒めることができる場」を構築して、システム作りをして、うまーくルールを作れば、課金によって収益が得られるのでは?
と思ったけど、ブログやウェブサイトや、最近ではニコニコ動画の「広告」コーナーとか、全部それだったわ





以下は2017.3.4のpostの転載です。


僕の持論として、
人間に必要なことは衣食住の次に「他人に必要とされること」。
お金はそのように使われるべきだし、国家規模でそれが維持されるためには補助金等も必要と思う。
「ロボットが仕事を奪う」とよく言われるけども、これが深刻なのは、現在の世界では「他人に必要とされる尺度」が金の収入として表されてるからだ。しかし、その尺度は変えることができるはずだと思う。仕事なんて面倒なこと、ロボさんたちにあっては、どんどん奪っていって欲しいと思う。
僕らは、稲刈りをする時間の価値でトラクターを買い、余った時間で農協を作ったし、銀行の帳簿をめくる時間の価値で集中管理システムを整備し、投資信託を始めたんだから、仕事がロボに委託されれば、別に何かを始めるし、それによって「他人に必要とされよう」とするもんだよ。
その転換先が、歌を歌うことであったり、文章を書くことであったり、愚痴を言う相談窓口ボランティアであったり、ボーイスカウト的な地域教育の場であったりしたら、より人間というのは進歩するんじゃないの。

また、もし、この世の全ての仕事が、ロボットに置き換わったとしたら、当然、全ての人が「他人に必要とされる」ための方策を考えねばならぬ。誰からも必要とされない者は、生きていく幸せが無いと言って過言では無い。
ぼけて寝たきりになった老人も、知的障害で結婚できない者も、誰も彼も、必要とされる世間。それが「一億総活躍社会」といえるのだろう。
今では介護の仕事が必要で、従事者は国と利用者の金をもらって生活してるわけだけど、未来にはどうなるのだろうか。





以下は2018.1.16のpostの転載です。


「どうやら、『他人』はおしゃべりをすることが楽しいようだ」ということに、ようやく思い至った。
というのも、合コンに行って、それなりに話が盛り上がったのだが、盛り上がっただけで今後の飲み会の予定とかつきあう話とかが一切無かったからだ。

合コンは、異性と喋るためにセッティングされた場であった。そして、「合コンとは、異性と喋るためにセッティングされるものだ」ということは、世間の常識だった。
僕はそんなこと一切知らず、婚活パーティと同じノリで挑んだ。男女が喋る唯一の理由は、婚活と誤解していた。なぜなら喋ることに快楽を一切覚えぬ(あるいは、代替手段が無限にある)僕はおしゃべりをするためにわざわざ高い酒飲んだり変なつまみ食ったりする理由が想像できなかったからだ。

目的と手段が乖離してたから、僕のほしかった利益が得られるはずはない。





以下は2018.10.25のpostの転載です。


結局、人は、安定してる方が安心するんだなと。
「その後」が予想できる方が、安心するし、そういうものを求めるのだと思う。以下安定する中心を「軸」と表現する。

軸のぶれていない人はステキだ。特に、独自の軸を持っている者は魅力的。周囲の人は、明示された軸を見れば、その人が命題に対して「どんな行動を取るか」がわかるので、同意を求められそうなら近づけばいいし、ダメそうなら距離を置けばいい。利用しやすい。
「わかりやすい人」というのは軸が他人からもわかりやすい状態であることが多い。さらに、彼の軸が彼の哲学に裏打ちされたものならば、その軸はさらに強固になる。場合によっては、同じ軸を共有したいと行って周囲に人が集まることもあるだろう。

独自の軸を持たない人はたくさんいる(と思う。というのも、自分はそれを想像できないのだ。しかし、『おそらくいるであろう』ということはわかる)。
軸のない人は、どこかに軸を求める。安定したいから。また、他人を軸として仮定することもあるだろう。「誰かのために頑張る」というのが軸に当たる場合もある(と思う。以下略)。

独自の軸を持たない人は、独自の軸を持つ人に、自然と惹かれるのではないか。孤高の存在で、周囲に流されない、でも社会規範に反したことはしない。そんな「周囲から見て軸のありそうな人」は、結果的にモテる可能性がある。






以下は2017.1.21のpostの転載です。


自分の周りに、ママしかいなければ、自分の意見と言うものはママの意見のコピーになろう。しかし、自分の周りに、他の人間が多くいれば、ママ以外の意見も多く取り入れることになる。

「既存メディア不信」という。既存メディアが言うことを、市井の人々が信じなくなっているという意味のようだ。
昔は、ラジオやら新聞やらテレビやら、大きめの企業が駆動する、いわゆる既存メディアの意見のみが広まり、多くの人はこれを受け入れることになった。
現在は、インターネットによって情報の拡散が著しく速く広範になったことにより、既存メディア以外の意見も受け取りやすくなった。

ママ(『既存メディア』)、もう独り立ちさせても良いではないか。多くの人間は、ママを盲信する操り人形ではないのだよ。それとも、ママ以外には判断能力を持つものはいなく、意見など無視すべきものだと?







以下は2015.12.5のpostの転載です。

しばらく仮説として考えていた「予想通りのことが起こると、快感情が引き出される」これはほぼ否定される要素が無いので、一般化して問題なかろうと思う。
挨拶というものがこれだし、マンネリズムのメリットの一つでもある。ネタに適切に反応したときに楽しいのはこのため。逆に、予定が狂うと嫌な気持ちになる。もし自分に損を強いるような予定があって、それを避けられる状態になるとしても、先に言われていたことと異なる指示が出たり、しなければならなくなったりすると、逆に面倒に思える。

要するに、「他人に通じるようなネタを言おう」ということだ。ほもみ君。







以下は2017.3.25のpostの転載です。


(自分メモ・未否定仮説)名称を募集する。
「加算個の行動パターンのうち、どれかが『正解』で、それを選べば自分の思い通りの結果を得ることができるハズだ」という考え方を否定的な意味で定義したい。
アンケート方式にするので、どれかを選んでほしい。

これはエロゲーによくある思考(攻略可能ヒロインは上記の通りに振る舞うし、要望が多ければファンディスクなどで攻略可能になるヒロインも多い)だと思っていたのだが、他にも「自分の要求に応えない恋愛対象や、そのつきあっている相手、または世界自体が間違っていると考えるヤンデレ」や、「答えのある問題を解くのは得意だが、答えの無い問題は解くことができず、むしろ『そもそも答えが無いから問題が悪い』なんて言っちゃう人」などにも適用でき、一般化が可能であると考えるからだ。

そのうち考察を進めていくつもりだが、この仮称を「ヤンデレ的思考」とするか「エロゲー的思考」とするか迷っている。どっちかというと前者の方が、口に出しやすいし、すでに独り善がりな意味を含んでいるので良いと思うが、実際のヤンデレの行動原理に当てはまってるかどうか曖昧なのが不安なのよね。
他に良い案があれば採用したい。


コメント from Shiina Shunsuke
「加算個の行動パターンのうち、どれかが『正解』で、それを選べば自分の思い通りの結果を得ることができるハズだ」
ここよんでギルドレ思い出した。
http://kodansha-box.jp/topics/guiltychildren/index.html

> 強大な敵の強襲に、カイルは「あらゆる確率を自在に操る能力」を発現






以下は2014.3.27のpostの転載です。

仮定:
彼は、世の中を「自分を許してくれるモノ」と「自分を許してくれないモノ」とに分ける考え方をしている。

問い:
あなたは、「彼」か?




以下は2017.1.22のpostの転載です。


【ヤバイ】プロゲーマー・ウメハラ氏の講演内容でゲームに対する価値観が変わると話題に!
http://otakomu.jp/archives/495710.html

わかる。
「にわか」時代が一番楽しいというのはこれが理由と考える。

また、実践もしている。
何事も完璧を求めない。艦これでも必ず未取得艦を残すし、デレステもマニーで買う曲をわざと買ってないのはこのため。
あーでも、今日「あんずのうた」proフルコンしちゃったからなー......少しマニーで曲購入するか。




以下は2018.9.2に行った転載の転載です。

「物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。好きでやっていると思っていたら、いつのまにかドラッグのようにコメントを強要されている。そのうえ素人なのに『こんなこと書いたら嫌われる、たたかれる』とか、まるで玄人のように自己規制をしている。『キジも鳴かずば撃たれまい』ということわざがあるが、『鳴きたい(書きたい)けど、撃たれ(たたかれ)たくない』という感じになっていて、結局いらいらして鳴いて(書いて)しまって、撃たれる。つまり、ネット上でたたかれて炎上する。こんな繰り返しの中でクリエーティビティーなんて生まれるわけがない。SNSにもいいところはあるが、若者は発信することに疲れ果て、発信して批判されることにも疲れている」

ジャズの異才・菊地成孔が語る表現、若者、SNS
https://style.nikkei.com/article/DGXLASFK26H2F_W4A820C1000000?channel=DF130120166059

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