2019年3月30日土曜日

オリンピックの政治利用について

以下は2018.3.3のpostの転載です。 

「オリンピックの政治利用は問題だ」という論調が多くあるけど、僕は「オリンピックの政治利用」に容認の立場なんだよね
いくつか理由があるから説明する。

1 オリンピック自体が政治団体であること
オリンピックでは平和を謳っているわけだが、平和が大事だよという主張が政治主張であることは間違いなかろう(っていうか政治的じゃない主張って何だろう......禅問答かな?)。
また、フランスとギリシャの意向をつよく反映した組織だ。それはオリンピックの入場行進からもみえる。
最初にギリシャが入場するのは、古代オリンピックからの伝統だ、そこを政治主張と言うつもりはない。でも、例えばギリシャの隣国「マケドニア共和国」が「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」として出場しているところは、多くの人が違和感を覚えることだろう。
マケドニアはユーゴからの独立時に、旧マケドニア帝国の領地だった地域を領土とすることから、国号を定めた。しかし、影響力の強いギリシャがこの国号にぶち切れて、国号を替えるよう継続的に抗議。国連加盟名も"The former Yugoslav Republic of Macedonia"となっている。オリンピックには国連加盟国以外も出場していることから、国連の下部組織ではなく独自に出場国を認定していることがわかるが、ギリシャの意向が反映されていることがわかる。

2 国を挙げての一大式典であること
オリンピックには金がかかる。ゆえに、開催国は多くの事業をこれ中心で進めなければならない。国家プロジェクトであるから、様々な要因が組み合わさって、イメージキャラクターや、スローガンなどが決められる。それらに政治主張を入れるなと言うのは、無理な相談だ。
また、開催国ではないところから、各国代表の大選手団が送られ注目される。国を代表として送られるというのは、単純に来るだけの意味が込められているのではない。国内の、多くの練習施設やコーチ、切磋琢磨する仲間、観客の応援、渡航を応援する人たち、広告を任すメーカー、報道機関、それらを背負って代表は来る。そんな各国の力や目が集まる場で、むしろ、主張をしないで、どこで主張するのか。世界でも有数の、政治主張の場ではないか。

3 すでに行われているということ
すでに......というか、毎回普通に行われてますよね。政治主張。
一番わかりやすいのが、モントリオール・モスクワ・ロサンゼルス各オリンピックのボイコット。それ以降は、オリンピックは商業に傾倒していきますが、オリンピックの開催が莫大なお金がかかることですので、それを担う以上、政治主張くらいしてもいいじゃんと思うのは僕だけだろうか。

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