2019年3月29日金曜日

教育で伝えるべきことについて

以下は2018.6.4のpostの転載です。

繰り返し繰り返し話題になる、目新しいことは全くないが、リマインダ兼自戒的な理由で共有。

引用始め「1.他人の発言をさえぎらない
2.話すときは、だらだらとしゃべらない
3.話すときに、怒ったり泣いたりしない
4.わからないことがあったら、すぐに質問する
5.話を聞くときは、話している人の目を見る
6.話を聞くときは、他のことをしない
7.最後まで、きちんと話を聞く
8.議論が台無しになるようなことを言わない
9.どのような意見であっても、間違いと決めつけない
10.議論が終わったら、議論の内容の話はしない」引用終わり

本当に10歳のフィンランド人が考えたかはともかく、参考になる話。

フィンランドの5年生がまとめた議論のルールが凄い
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20081028/p1


以下は2018.1.5のpostの転載です。

教育ってのは、「おめーが自己正当化できるかどうか」で決めるんじゃなくて、「子供とどのような共通認識を持ちたいか」で決めろよ

「教養」は人と人との話題をつなげるための物だ。ついでに物事の教訓を伝えられると便利だが、究極的には話題が共通してりゃ何でもいいんだよ。聖書だっていいしな。聖書のある宗教が普及してればそうなる。
日本はそうでは無い。では、自分と子供で一致する話題は何なんだ?妖怪ウォッチか?ポケモンか?そして、自分より年上の者とも通じることができる話題は何だ?まさか、妖怪ウォッチとか、ポケモンだなんて言う者はいるまい(.........いないよね?)


以下は2016.2.27のpostの転載です。(リンク修正済み)

僕はこのような問題を、教育の崩壊の問題と考える。
以前は、子供と言えば労働力の一端であり、大人と一緒に作業に従事することも多かった。「常識」というものは自然と大人と同等、またはその一部が受け継がれるようになっていた。
それが子供を大事にし過ぎる世間になり、子供に何もさせない、ケータイだけ与えて暇つぶしをさせ、手伝いもさせない、という事情になっている。遊び仲間もいないか、世の中の道理を考える機会を得られない者くらいしかいない。
そりゃあ楽でいいが、本当に基本的な教養と言うか、常識が形成されないまま体だけでかくなる可能性があるので、気をつけねばならぬ。子供にはいろいろな経験をさせねばならぬ。それが教育と言うものだ。

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https://matome.naver.jp/odai/2145648904751519701

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