2019年3月22日金曜日

#comisson_nagesen について

以下は2016.3.25のRita Cinquettiのpostの転載です。
2日ほど前に話題になってたこれ
話題に完全に乗り遅れた
思いつくポイントはあらかた既に言及されてる

文化やそれまでの経緯(歴史ってほどでもないけどそれなりに形成されてきた暗黙の了解とか)が絡むし、どちらが良い・悪いの話でもない

できればこういう文化も広まるといいな、とは思う。ついでにPayPal(じゃなくてもいいけど、手数料の低い個人間小額決済ななにか)とかが広まってくれるとなお良い。
一般人が絵師にお金を払って描いてもらう海外の文化、コミッションとは?【5/22更新】



以下は2016.3.26のRita Cinquettiのpostおよびコメントの転載です。
言い尽くされていてホントにいまさらだけど、やっぱりいくつか

・コミッション方式、もっとやる人いてもいいと思うし、選択肢の一つとして広まるといいな
・嫌儲は消えてなくなればいいのに
・依頼を受けて描くということが、プラスに大きく寄与すると思う反面、そのマイナス面(厳しさ、辛さ、面倒臭さ、難しさ)もちゃんと広まるといいと思う
・この辺の権利関係もすっきりするといいのに

今の日本で多く広まってる絵の多くは、「描いてる本人が好きで描いてる」だと思うのよね。
で、この「好き」と部分と「描く技術」の部分って本人的にはそこまで不可分でやってきてるだろうけども、実は不可分でないので、そこで幾ばくかでも対価(お金でなくても良い)が手に入るって仕組みはあっても良いと思うんだよな
(ホントに不可分な人もいると思うから、それなら依頼は一切受けないで構わない)

職業として云々は、逆に言えばそれが適正値とも言えるので(買い叩きやダンピングは別の話として)、原理的にはその部分の保護は論拠にはしたくないかな。




以下は2016.3.26のRita Cinquettiのpostの転載です。
そして俺の中では今夜の話(小額決済とか個人間支払いとかクリエイティブ活動とコミッションとか)とは全く別のレイヤーでひとつの発火点がきた。

これは俺にとっては凄まじくでかい。

たぶん誰にも伝わらないし伝えられないけれど、記念というか記録として、この引用とキャプションがまさに当てはまる事象なので再掲しておく。



ネット上にせよ現実にせよ、さまざまな考えがあり意見がある。どんだけ議論しても相容れないものだってあるし、そもそも議論にならないほどにいい加減で支離滅裂です投げっぱなしなものだったいくらでもある。

ただし、相手に説明する意志がありこちらにそれを理解しようという姿勢があるなら、あるいは逆にこちらに説明する意志があり、相手にそれを理解しようとする姿勢があるなら、それはいずれ理解に至る(その上でそれでもなお、理解はできたが賛成はできないという結論でも構わない)


が、それとは別のレイヤーとして、思想や考えの根底に「時代性」がある。
どれだけその束縛から逃れようとしても、記憶(たとえそれが幻想に過ぎないとしても)によってのみ個人は規定される。

技術や文化を、違う時代や世代を学んでみても、ネイティヴにはならない。

そしてそれはいずれ「姿勢」や「意志」や「理解」を凌駕し、手の届かない領域に入る

そこに手が届かなくなることこそが「老い」であり、それを受け入れられなければそれはもはや「老害」に成る

どれだけ意思を持ち、どれだけ理解しようとしても、もう彼らのその声は自分には届かない。

そうだ、これこそが



以下は2016.3.26のmasarakkiのpostおよびコメントの転載です。
やっぱり俺の物事の考え方の基本部分はガッツリ同人世界なんだよなぁと思う
マスを相手に商売してる人とかあんまり興味ないし
消費者はチョロいし(もちろん褒めてる)
そしてあくまで趣味であり創作はどうしようもない頭の中の泥沼を吐き出す行為であり

創作物に価値があるんじゃない
創作物を生み出せる人間に価値があるんだ
だから人間に対してカネを払うんだ
っていう方向に持って行きたい



以下は2016.3.26のRita Cinquettiのpostの転載です。
ものすごくうがった見方をすると、コミッション文化とこういう文化はもしかしたら相容れない部分があるのかな、とも思う。

必ずしも対立する要素ではないし、他に絡む要素が無数にあるだろうから、ダメって話じゃないけども。

嫌儲じゃないけど、コミッション方式が普及するとたぶん一部で金額を指標にしたランク付けが発生してしまうだろうし、そういうのはこの「勝手に切磋琢磨」とは相容れないんじゃないかなーと。


『809 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2007/06/27(水) 16:25:52 (p)ID:AsY3+Z6B(5)
334 :可愛い奥様:2007/06/26(火) 09:46:19 ID:raxdPvfD0
OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。

日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。
外国文化に負けまいとしているのではなく、
世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。
その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、
そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。

そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、
それがすごいものであることを知らされる。
ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。
もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。
だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、
この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、
知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。 』
日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ



以下は2016.3.26のmasarakkiのpostおよびコメントの転載です。
月に1000円無条件でカネくれるファンが300人いたら生きていける世界を作りたい

コメントfromさわださとし
コンテンツに金を出すんじゃなくて、直接金を出すなんてないでしょ。
タレントのファンだって、タレントというコンテツがなかったら金なんて出さねーよ。

コメントfrommasarakki
ないと思ってるならもう老害なんだよ

コメントfrom伊久新之助
FCはそれに近い?
僕は田村ゆかりのために年に4,000円出してるが、特にライブで良い席を得るためとかFC会誌を得るためとかではない。(副次的にそれがあれば嬉しいけど、少なくともここ1年間ライブツアーは無い)
田村ゆかりという存在に奉仕したいと言う気持ちがあるだけだ

コメントfrommasarakki
それは非常に近い
それの金額を任意に設定できたら素晴らしい
あとは完全に払う側が匿名になること
普通に誰でも使えるファンクラブプラットフォームはあっていいと思う
けどとりあえず現状の法律だと上手くやらないと違法
インターネットでカネを扱う敷居の高さ本当に高すぎてそりゃインターネットビジネスなんか成立するわけねえだろって感じになる




以下は2016.3.26のmasarakkiのpostおよびコメントの転載です。
ゲームやんないのに買って積むだろ
マンガ読まないのに買って積むだろ
(ヲタじゃないヒトはわからないかもしれないけど)

その本質はすでにコンテンツを欲しくてカネを払っているわけではないんだよ

コメントfrom伊久新之助
「お布施」だな
ゲームの信者は、そのゲームがアニメ化したときに、どんなにひどいアニメの出来だとしても、円盤を買うものな(そして、見ない)



以下は2016.3.26のmasarakkiのpostの転載です。
というのももう日本人の殆どは貧困層であり
今までのようなモノを大量に作ってそれほど高くない値段で多くの人に売るというビジネスモデルがもう限界来てんだろという認識なわけです
まだリアルな物質はカネを出して買う人はいるけど
我々が愛してやまないマンガなどのコンテンツ産業的な話をすると電子書籍はおろか紙の本すらもうカネを出さないわけです


以下は2016.3.26のmasarakkiのpostの転載です。
最終的に全人類の信用価値を再帰的に計算して
(イメージ的にはページランクアルゴリズムのようなもの)
信用価値に対して何かをする権利が与えられるようになり
その世界には通貨というものが一切ない世界というのが俺の理想


以下は2016.3.26の伊久新之助のpostの転載です。
すげえ古いゲームだけど「ガンパレードマーチ」ってゲーム内の「発言力」がそれにあたるかもしれん
通貨のように使うこともある



以下は2016.3.26の伊久新之助のpostの転載です。
そもそも日本人が清貧を尊びすぎなんでは。
その顕著な表れに、江戸時代の改革群への評価がある。

江戸時代に武士が給与を米でもらってたのは、日本で最も価値のあるものが米だったからだけど、結局商人から物を買うには金が要るので、米を売って金に換えてた
で、何人か老中や将軍が経済改革やろうとしたけど、結局米の増産を意図する内容だったから、インフレになって武士はますます貧しくなって全然ダメだった。それなのに臆面もなく「三大改革」だなんて言っちゃって。対して経済刺激策を画策した田沼意次は「賄賂政治家」と散々。この評価の差は、社会に明確な「金蔑視」があることの証拠になっている。

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